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救命艇のarchのレビュー・感想・評価

救命艇(1944年製作の映画)
3.8
ヒッチコックが戦時下にプロパガンダとして生み出した作品。プロパガンダといっても根にはナチスに対する恐怖ではなく、民主主義国家が力を合わせないと戦争負けるぞ!という鼓舞がある。それが戦場に行けないヒッチコックなりの戦い方だったのだ。

物語は全編救命艇の中で繰り広げられる密室劇となっていて、カメラも一切の船から出ない徹底ぶりであった。今作は特に人物描写に力を入れた作品であり、サスペンスやスリラーとは正反対の作品と言える。
ナチスの捕虜が本作では登場するが、他の人よりも優れた人間として描かれている。特に彼のおかげで救助の糸口が見つかったという点が本作にアイロニーさを与えている。つまりナチスの捕虜はやはり道徳的には正しくない存在ではあるが、彼を活かして従うことがこの船における合理的な判断であったのだ。その中で彼らは仲間を見殺しにしたナチスの捕虜を船から獣のように群がり追い出す事で自らの道徳心を満たす。しかし観客にはその光景に道徳の言葉は見当たらない。
そして彼らは既に客観性や俯瞰した誰かを失い、自分たちの行いや現在までの貢献を省みることが出来なくなっていた。
ヒッチコックがどこまで意図的か分からないが、この映画はナチス死すべしという外見を有しながらも、マジョリティーの恐ろしさや人間を人間として扱わないことの恐ろしさ、そして戦争そのものの愚かさを内包していて、決してプロパガンダとして正しくない作品になっている。
実験的な作りをした作品でありながらも、メッセージ性やアイロニックな構造を持った中身をしっかり詰まった作品であった。
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