たらこパスタ

アッカトーネのたらこパスタのネタバレレビュー・内容・結末

アッカトーネ(1961年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

Accattoneは日本語に翻訳したら乞食という意味らしいです。働いたら負けコミュニティの仲間たちと日々をおくる主人公アッカトーネ(ヴィットリオ)がかなり屈折しているように思える人物でした。
その屈折仕方が端的にかつアグレッシブに端々で描写されていて心がざわつきました
特に印象的だったのが船の上でステラにどこぞの知らない男性たちのダンスの相手をさせてそのあとヴィットリオが橋から飛び降りたくなった末にステラと口論(かなり彼の発言が意地悪💢)する流れとステラのお客さんの車が戻ってくるのを待ち伏せしていた時のヴィットリオの表情の大写しでした。相手の自分への誠意を確かめるために相手のプライドなどを傷つける行為をさらっとしてしまう残酷さが哀れでもありかなり怖いと感じてしまいます。この怖さに関してはヴィットリオに向けた恐怖心ではなく、彼のそういう残酷な行為は現実世界の自分含めた任意の人の八つ当たりしまった...などの行為と少なからず連続していると考えてしまう瞬間もあり、胸がざわついてしまう....という感じだった、個人的に
そしてそういうことを考えてしまう余白がこの作品内には与えられているような気がします。
起こることはシンプルに描かれて比較的わかりやすい一方で、既知の情報、例えば会話している状況で変化のない切り返しや目だけのアップ、取っ組み合いをしている個人を判別しようと思わない5、6人の中距離からの固定のカットなど、が流される時間がちょっと長めにあることが思考時間への滑らかな橋渡しとなったりしていました。
また、戦後のイタリアを舞台にしており、登場する人物たちの日々は過酷なものでした。生活に余裕がなくて、そこから抜け出す障壁も高く、しかも一瞬希望がみえた瞬間にそのデカすぎる壁の前に粉砕されてしまうような日々を生き抜いていかなければいけない状況が、ヴィットリオたちの働いたら負けな思考へ繋がっていく要因のひとつであると思います。しかし、その要因以外でもこういった思考が生活をリードしていく可能性は多いに考えられ、現代に通じる普遍性があると思いました。この普遍性も前述した怖さを感じる原因になった。

赤ちゃんや幼い子どもがたくさん登場するのですが、その時に大人たちの状態変化に全く追従する部分がなく、違う世界を生きているような振る舞いをしていて独立性がありました。そのことがなんだかその場にいる大人たちを俯瞰して捉えさせているような印象もあって、この距離感が独特でした。

結構深刻さの漂う感想を書いてしまったのですがおかしさも併せ持っている奇妙なバランスがあったとも感じました。喧嘩する時はかっこわるい取っ組み合いがぬるぬる続くし、登場人物たちの服はなんかダサい感じにめくれちゃってそのまま歩くし🚶。あと画面もリズミカルな部分も多かったのでそういう部分では観やすさがあると感じた!
このちょいダサくていい加減な生活感と無慈悲さが混在していました。ラストの適当な十字切りとバイクのクラッシュで感情のやり場がいよいよわからなくなった。
彼らの置かれた状況に思いを馳せてを非難することも、あるいは同情することもできる開けた空気感が十分にあったと思ったけど、その感情が何事にもつながらず虚無というような気分に...
忘れられない一本になったことは間違いないです!
たらこパスタ

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