主人公がカメラを見る、ひいては観客を見るカットは何を意味しているのか。
冒頭の主人公が日光浴をしている姿を撮るカメラの動きと作中のインタビューのカメラの動きが一緒だった。いわゆる舐めるように撮る。この映画自体が主人公にしていることを自覚している、ひいては観客にもそのことを促しているのだろう。
とはいえ、ラストをこのようにするのはドラマにすら彼女は消費されたともいえる。悲劇を求めてしまう観客と悲劇を与えてしまう作り手の共犯関係だ。
それゆえに劇伴として使われるジェンカ、レットキスが悲しい。「8 1/2」を連想した。