ラウぺ

ディレクターズ・カット JFK/特別編集版のラウぺのレビュー・感想・評価

4.2
1963年11月22日、ダラスでケネディ大統領が暗殺されると、ニューオリンズの地方検事ジム・ギャリソン(ケビン・コスナー)はオズワルドの周辺にいた人物の洗い出しを命じる。そのなかで浮上した民間人のパイロットであるデイヴィット・フェリーを尋問する。フェリーの供述は二転三転して信頼性に乏しいものだった。ギャリソンはフェリーを拘留するが、FBIはフェリーをすぐに釈放してしまう。3年後、ウォーレン委員会の報告書が発表されると、ギャリソンはその不可解な部分からオズワルドに背後関係があるのではないかと疑い始める・・・

オリバー・ストーンが2021年に製作したドキュメンタリー『JFK/新証言 知られざる陰謀【劇場版】』が公開されているのに合わせ、まずこちらの感想。

オリバー・ストーンの作品に貫かれているのは権力の横暴に対する強烈な反対の姿勢であるといえます。
彼にとってケネディ暗殺という事件は、社会正義の実現という意味で、決して曖昧にしていくことの許されない、非常に大切な追及のテーマなのでしょう。

劇中ギャリソン(≒オリバー・ストーン)はケネディに当たった2発の弾丸の1発目がケネディの喉に当たってからコナリー知事の足に至るまで人体を7か所も貫通した所謂“魔法の弾丸”について、オズワルドが5.6秒の間に3発発射しているとされる点について非常に大きな疑問を呈する。
劇中で提示されるさまざまな疑問や矛盾点を総合していくと、オズワルドの単独犯行とするには無理があり、複数の狙撃者がいるとなれば、それは共謀であったと断じることができる、と結論付けた。

ウォーレン委員会の報告書の98%に相当する部分が2029年を待たずに開示されている現在にあって、それに至るまで新たに分かった新事実を含め、劇中で指摘される事件の様相にはそれぞれ反証や事実誤認があった点などが明らかにされ、ウィキペディアなどにトリビアとして詳しく書かれていますが、かといって、事件そのものの矛盾点や犯行の動機、オズワルドの背後の組織との関わりについて万人の納得する事実解明がなされているとは言い難い状況にあります。
この作品はケネディ暗殺の背後にある政府機関の関与について告発する、という姿勢が貫かれていますが、それはドラマとして、憶測や想像を含めた物語として再構成されている、という大前提で観る必要があるでしょう。

物語の中盤でワシントンの高官だとされる“X”(ドナルド・サザーランド)が登場し、ギャリソンに事実の追及と大衆の怒りを世論とすることの大切さを説く。
これはストレートにオリバー・ストーンの想いを投げかけたセリフにほかならない。
“X”との面会を経てギャリソンはオズワルドと接触のあったニューオリンズの実業家クレイ・ショー(トミー・リー・ジョーンズ)を共謀罪で起訴する。

裁判を通じて“魔法の弾丸”、5.6秒間にオズワルドが3発発射するのは不可能、という点を明らかにし、背後にあるものをあぶり出す、という物語後半の展開となるわけですが、重要なのは裁判の勝ち負けというところにあるのではなくて、この重大事件の詳細を明らかにし、陰謀の可能性について、その有無に関わらず丁寧に検証していくことの重要性にある、ということだと思います。
事件の矛盾点や証拠の信憑性、何らかの隠蔽が行われた可能性がある、という点においては明らかに何か背後にある隠された意図を窺わせますが、物語の核心にあたる暗殺の動機と具体的な実行について、という部分になると、これはあくまでオリバー・ストーンの考える陰謀論として見ておく必要があるでしょう。
この部分については『JFK/新証言』の感想でひとまとめに記しておきたいと思いますが、先にも書いたように、政府の発表を鵜呑みにせず、あくまで疑念を追及していくことこそが重要なのだ、という監督の強い信念が、裁判でのギャリソンの言葉に集約されている、と感じます。

虚実入り交じっているとはいえ、それをひとつの物語として大きなうねりの中に置き、更に権力監視に対する明確なビジョンを打ち立てている、という点において、この作品のもつ意義とドラマとしての見事さが、今日においても色褪せることのない傑作といえるのだと思います。
ラウぺ

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