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ブラッド・ブラザース 刺馬のニューランドのレビュー・感想・評価

3.3
☑️『ブラッド⋅ブラザース 刺馬』(3.3p) および『黄飛鴻正伝 鞭風滅燭の巻』(3.1p)▶️▶️
キン⋅フーと並ぶ武侠映画の中核を成す作家として著名だが、知識層はともかく一般的にはこちらがポピュラーなのだろう。その代表作が本作品らしく、今回の催しでチョイスされた。2人の名匠は対照的で、柔対剛、漂うような密度を欠いた画面と⋅地に根を張ったような無骨な構図。どちらにしても、特に関心があるわけではないので、キン⋅フーは1980年代半ばから、チャン⋅チェは21世紀に入ってやっと見始めた気がする。そもそも、B⋅リー、J⋅チェン、J⋅リー、D⋅イェンらすらろくろく観ていない(香港に限らず、『ロッキー』『ダーティ⋅ハリー』も1本目しか観てないし、『007』もたいして接してない)。チャンについても、J⋅ウォングの片腕ものや、後年のドロドロ気色悪い闘いの因縁ものら、数本を観ただけだが、辛うじて傑作というのも、僅かだがあった気がする。しかし、いつの場合も垢抜けず、逆にその手応えはなかなかのもの。
本作も、飛翔感⋅編集速度力の所もあるが、基本今ではのろくも見える土の上に載っての、懸命⋅延々体技が中心。スロー、幅も速度も頻度も無茶苦茶おんぶのズーム、闘い中の嘗ての絆⋅蜜月時代を感傷たっぷりに重ねるOLも増えてくる。縦や横や廻る移動はあくまでサブの感(パンのスピードは活きてるが)。映画マジックなど二の次の、掛け値無しのゴツゴツ存在感(ショボくても、また恋の情も)。誰もがスマートな似たような映画を撮るようになった今、この泥臭さ⋅感触⋅力の系列感は大事。そのくせアマチュアっぽさ等問題点にしない、本当のプロの誇り⋅がある。
ティ⋅ロン主演、清朝末期太平天国の乱の頃の、実戦武術に優れた三人の義兄弟、山賊や平民から、山賊の砦を落とし強力な軍団に変え、より大きな「野心⋅誇り⋅世に出る」長兄に引っ張られ、その科挙合格→官吏→将軍→総督と止まらぬ出世とその非情⋅先鋭化であとの2人や嘗ての弟子らは持ち駒化、弟分の1人の妻との禁断の恋も発展し、その醜聞隠し(「出世の障害は消す」)で、弟分まっ殺へ。残った1人が、嘗ての義兄=現2州総督へ復讐を果たし、敢えて捕らえられ、取り調べの場で全てをぶちまける。
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その武侠映画の先駆けらしいのが、『黄飛鴻~』(´49)カメラの位置や角度変や⋅縦や横への時折の使用、寄りの入れと対応⋅切返しめは最低限あっても、カメラ⋅編集がアクションを助けないので、獅子舞いや型の披露等は迫力あっても、絡み⋅(集団)武闘は段取りをゆっくり取ってるので、本物武術家らとはいえ、スローめで緊迫感はない。少林寺の流れをくみ、民団の教官としても、「社会貢献し、国のため、良民を痛める悪と闘う」名高い武道家に弟子入りした男を通し、師匠の、出先での薬屋の妻と財を狙う男の一団との闘い、身を寄せた家の娘からの恋、の前半から広州の同郷会で面目潰された、同姓の悪く⋅名だたる武闘家との対峙が始まる、後半へ、そのまま続編に続く。色んな弟子の立ち回り⋅落下穴つき地下室の毒蛇らの仕掛け、色々な人質救出、らもありまぁ飽かせないが、師は、日本のレベルでいうと、落ち着き⋅仁徳に欠け、「義」等謳いつつも、すぐ挑発にはのり、無謀単身乗り込みもす。まぁ、その未完成ぶり⋅人間味が人気に? 音楽が付け合わせ的に凡庸。J⋅リー=T⋅ハークの三部作と全く同じモデル。
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