んたん

田舎司祭の日記のんたんのネタバレレビュー・内容・結末

田舎司祭の日記(1950年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

良い田舎風景のレコードだった。
自らシネマトグラフと呼称するだけあり、視点の明確なフィルムカット、説得力のある画が続く。

多々ある長い沈黙の眼差しや間に惑わされる。
演技経験のない素人を配役したらしいけれど、彼らの表情のカットが司祭や村民の人物像をぼやかすし複雑化している気がした。村全体の閉塞感がとても伝わってくる。

しかも司祭の清潔さと並列して無垢な少女性を映したりするから混乱した。我々が、禁欲的な聖職者すらも抱える矛盾が生々しく垣間見えるような。

カトリック崇拝を司る主人公の信仰性における葛藤があらすじにあるけれど、葛藤の対象は司祭の実存思想の目覚めと汲める。
村の一家の背景や戦後の制作年を見ると、より、ブレッソンが実存主義の価値観を持ち込んだ作品に思えた。

一編を通してあまり多くを語るイメージはなかったけれど、終盤、語りが流れながらバイクの後部座席に乗るシーンがいかにもキリングパートな雰囲気を醸し出してきて面白かった。
「神が私の死を望んでるとしても、危うさを経験してからだ。私の犠牲が実を結ぶためにも。」
など。
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