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ドアをノックするのは誰?のnetfilmsのレビュー・感想・評価

ドアをノックするのは誰?(1968年製作の映画)
3.7
 ニューヨーク市クイーンズ区リトル・イタリー、陶器製の聖母マリア像、ろうそくの炎が揺れる燭台、狭苦しいキッチンでは母親がパン生地をこねて、子供たちにパイを焼いている。やがて母親はテーブルに料理を置く男の子2人と女の子2人の貧しい食卓。そんな幼少時代を経て、J.R.(ハーヴェイ・カイテル)はシチリア移民の悪友たちと日夜喧嘩に明け暮れていた。エリザベス通りでの別グループとの殴り合い、既に母親は他界し、J.R.は仲間たちと鬱屈した日々を生きていた。そんなある日、フェリー乗り場のベンチでJ.R.は運命の女(ジーナ・ビートゥン)に出会う。フランス語で書かれた新聞に載っていたジョン・フォード監督の西部劇の傑作『捜索者』のジョン・ウェインの写真、覗き見る視線に気付いたのか女はJ.R.に気さくに話しかける。彼は酷く暴力的な毎日を送っていたが、唯一の拠り所となるのは映画であり、『捜索者』のあらすじを得意げに語るものの彼女はほとんど理解していない。ニューヨークの街、移民同士の出会い、退廃的な生活をしていたJ.R.の心に微かな希望の火が灯る。オフ・ブロードウェイで演技の経験を積む一方で、オーディションで見事主人公役を勝ち取った若き日のハーヴェイ・カイテルの初々しい演技が光る。映画の中にしか自分自身を見出せなかったJ.R.は初めて恋をするが、手も繋がなければ口づけをすることもない。まるで少年少女のようなピュアな恋愛が60年代初頭のアメリカの風土を物語る。

 今作はニューヨーク大学の映画学科に通ったマーティン・スコシージの自伝的物語である。当初は大学の卒業制作として『Bring On The Dancing Girls』のタイトルで撮影が開始されたが、その後何人かの出資者を確保し一度完成した作品はマテリアルが追加され、ようやく67年に現在のタイトルにて公開に漕ぎ着ける。信心深いカトリック教徒の両親に育てられたシチリア系移民のスコシージは神学校に通うことになるが、素行不良により一般の学校に転入させられる。病気持ちでインドアだった彼の趣味は映画しかなく、若い頃から世界中のありとあらゆる映画を観た彼の心に深く焼きついたのはジョン・カサヴェテスの59年の傑作『アメリカの影』だった。今作はその『アメリカの影』の強い影響が滲む。セントラルパークで愛し合う2人の男女、即興に近い軽快なモンタージュ、JAZZを中心としたニューヨーカーたちの日常風景だった『アメリカの影』は人種間の苦悩さえも浮き彫りにしたが、今作ではロウアー・イースト・サイドに住む若者の言いようもない焦燥感にトレースされ、カサヴェテスのJAZZに代わり、60年代に勃興したROCKの音楽が鳴り響く。性格俳優としての類い稀なリー・マーヴィンの才能、『捜索者』と同じくジョン・フォードの『リバティ・バランスを射った男』の薀蓄、悪友たちに話さない秘めた思いをジーナ・ビートゥンに一生懸命に伝えようとするJ.R.の若さゆえの自分語りが微笑ましい。デートで観に行く映画はハワード・ホークスの傑作『リオ・ブラボー』である。

 マーティン・スコシージの映画ではしばしば社会的に孤立した主人公が登場する。今作に父親の影など微塵もなく、冒頭の場面でパイを焼いていた母親の顔に刻まれた深い皺だけが極めて深い印象を残す。主人公J.R.は一貫して聖母マリアのような母親の不在を抱えている。60年代中期の社会情勢で言えば、アメリカはヴェトナム戦争に出兵し、ヒッピー・ムーブメントが勃興した時期だった。その中で若者の間で急速に広まったのは「性の解放」と「自由恋愛」に他ならない。孤立を深める若者は反体制運動の最中、「性の解放」と「自由恋愛」とを同時に享受する。だが彼女が告白し、懺悔する「償い」には当時の自由恋愛の代償が深く滲む。物語は極めてメロドラマ的でほとんど深みはない。だが追加されたマテリアルの幾つかにはスコシージの非凡な才能が発揮される。中盤の男たちのパーティ・シーンのスロー・モーション、円を描くような絶妙なショットの繋ぎにはスコシージの初期衝動が爆発する。中でもだだっ広い部屋の中央に置かれたベッドの上で、J.R.が娼婦と抱き合う場面の筆舌に尽くしがたい美しさはケネス・アンガーの実験映画との親和性も見える。場面に流れるThe Doorsの『The End』の虚無的な美しさ。それ以外にもThe Chantelsの『The Plea』やMitch Ryder & The Detroit Wheelsの『Jenny Take a Ride』、Jr. Walker and the All Starsの『Shotgun』など60年代初頭のROCKマニア垂涎の楽曲の使用も功を奏す。「君を許すよ」の言葉が十字架に磔にされたキリストのイメージに重なる様子は、処女作から通底するカトリック教徒の罪悪感をも浮き彫りにする。未熟だった今作から数年後、スコシージの消化不良だった想いは『ミーン・ストリート』で見事結実することになる。
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