Osamu

ソビブル、1943年10月14日午後4時のOsamuのレビュー・感想・評価

4.2
〜全人類が共有するべき世紀の映像遺産!ホロコーストの“記憶”を“記録”にした傑作ドキュメンタリー映画!〜

クロード・ランズマン監督のホロコースト・ドキュメンタリーを紹介するウェブサイト(http://mermaidfilms.co.jp/70/)のこの謳い文句のとおりです。

ユダヤ人収容所から生還したイェフダ・レルネルさんが、ポーランド・ソビブルの収容所で起きた武装蜂起までの記憶を語ります。全編が彼へのインタビューです。

語られる内容自体は、他のホロコースト映画でも類似のものを知ることができるかもしれません。この映画の意義は、経験した本人が語っているのを直接観るところにあると思います。

ユダヤ人武装蜂起の記憶を語るイェフダ・レルネルさんの表情を観る映画。

通訳を介してのインタビューです。通常、通訳が訳しているシーンはカットされ、被写体が話している映像に翻訳した字幕を重ねることが多いと思いますが、この映画では違います。

通訳が訳すのを待ちます。その間もレルネルさんを映します。そこが最初じれったく感じるんですよね。通訳をカットしたら半分の尺になるんじゃないのって。

でも途中でそれが重要だと気が付きました。極めて特異な経験を話しているわけであり、思い出したくないことを語っているわけで、その言葉だけではなく表情からも何かを感じなければいけないのだと。

そのためには、通訳を待っているレルネルさんの表情も注視すべき貴重な対象だと。

レルネルさんが話している間は字幕が出ないので何を話しているか分かりません。だから、彼の表情に集中できます。

とにかく、こんな体験を語る人間の表情を観るというのは、とんでもなく大きな意味のあることだと思うのです。そこから何かを受け取ることができるのであれば。

特に、蜂起の核心の瞬間を語る彼の表情から受け取るものは重いです。震えが来ました。今後もチャンスがある限り何度も観たいと思いますが、観るたびに新しいものを受け取るのではないかと想像します。

この作品を含めたランズマン監督のホロコーストに関するドキュメンタリー3作品が3月11日(金曜日)から13日(日曜日)まで、東京・飯田橋のアンスティチュ・フランセ東京にて上映されます。567分の大作、あの『ショア』も上映されます。

その企画に連動している「Beauties」という映画配信サイトでも観られることを知って一足先に観てしまいましたが、大きなスクリーンでレルネルさんの表情を観たら、また違うんだろうなあ。
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