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ブラジルから来た少年のmasatのネタバレレビュー・内容・結末

ブラジルから来た少年(1978年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

何故かワザと気に触るように“音”を設計している。
ローレンス・オリヴィエの登場シーンは、水漏れが激しく、その音に大家と妹の口論が重なり、そんな中で、南米からの電話に応対する。
殺されようとしている男が家に帰ると、下宿の若い娘の部屋から大音量でロックが漏れている。
クライマックスの家では、ドーベルマンが五月蝿くて話にならない。
思えば、オープニングクレジットのバックに流れる、誇らしく響くウィンナワルツも勘に触る。

気に触るように音響を工夫しているところに、本作の悪意にも似た“冗談”が湧き上がり、流石“猿の惑星”の監督、フランクリン・J・シャフナーの非凡さが溢れている。

「アーリア民族の希望がかかっておる、神聖なる任務なのだ、誇りに思え!」
というグレゴリー・ペックの宣誓から始まる作戦が異様。
実在の人物であるアウシュヴィッツの医者・メンゲル、その逃亡と愚行をモチーフにし、それを追うナチ・ハンターの攻防を、抑えた演出で、リアルに淡々と進めて行く。

そんなプロットを発明した原作者アイラ・レヴィンが、そもそも凄い。
何かに取り憑かれ、それが現代のすぐ隣で、水面下で静かに進行している・・・彼の代表作「ローズマリーの赤ちゃん」と同じ恐ろしさと現代を皮肉ったユーモアだ。

やはりナチは異常だったのであり、その過去に囚われる“老人”たち以上に、本作で登場する両派の若者、即ち、ネオ・ナチとネオ・ナチ・ハンターの振る舞いが、より異様に見えた。

また、ゲイ監督ならではのしつこさが炸裂するサスペンスと言うよりスリラー傑作『マラソンマン』(76)と対を成すような作品だ。過去に犯した愚行が、いまだに近代化した都市で、世界を巡って、追う方も追われる方も老醜(臭)を放ちながら、“続行”しているのである。これではまるで20世紀最大の“呪い”である。
その呪われた形相を、かのグレゴリー・ペックとローレンス・オリヴィエと言う(何故こんな役を受けたのか解らない)二大俳優が異様に醜く演じているのが見所だ。
その顔は、腐る一歩手前で、まるで白粉で腐臭を隠しているかの様なメイクをしており、グロい。

因みにオリヴィエの役は本人同様のユダヤ人のナチハンター。『マラソンマン』では、真逆な、南米らしき場所に潜んでいるドイツ人サディスト元軍医。メンゲルの面影があるキャラクターを何と演じていたのだ。
ドイツ人異常医師を演じるペックもそうだが、アメリカの俳優の幅の広さは、驚くべきものがある。
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