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赤死病の仮面のhorahukiのレビュー・感想・評価

赤死病の仮面(1964年製作の映画)
4.4
ロジャーコーマン版『第七の封印』

エドガーアランポー『赤死病の仮面』『跳ね蛙』を原作とし、ベルイマン『第七の封印』にオマージュを捧げた帝王ロジャーコーマンによるゴシックホラー。良作揃いなAIPのコーマン×ポーシリーズの中でも最高クラスと言っても良いだろう傑作。撮影は『赤い影』のニコラスローグ。

ポー『赤死病の仮面』『跳ね蛙』に共通する仮面舞踏会を軸に両者を綺麗に繋ぎ合わせ、『第七の封印』と同様に赤死病というペストのような病気が蔓延る「地獄」の中で「愛情で繋がった生」を説く。原作にはないベルイマンの「神の探求」「生の探求」の要素を逆アプローチで取り入れ、死神(黒いローブではなく真っ赤なローブ)はその探求者に「虚無」を突きつける。

皇太子プロスペロ(ヴィンセントプライス)は、自身の城に金持ちたちを招待し仮面舞踏会を開き楽しんでいる。一方で村に住む農民たちには圧政を敷き、貢物を強制しているために、村は貧困で劣悪な生活環境。その環境のせいか村に赤死病が蔓延。プロスペロは安全な城に金持ちたちと籠り、村人たちの助けを求める声を無視。更には村から連れ去った美女を幽閉、その彼氏と父親に死のゲームをさせやりたい放題。そこについに死神が介入する…。

そんな感じでプロスペロは超クソなやつ。赤ちゃんが道にいるのに平気で馬車で進もうとする最低野郎。城に集めた金持ちたちには宝石を配るのに、城外で助けを請う村人は決して城内には入れず、その代わりに矢を浴びせる。敬虔なクリスチャン美女から衣服を剥ぎ取り、豪華な衣装に着替えさせるという信仰の塗り替えを強制的に施し、善人然として振る舞う金持ちたちの「仮面」を剥ぎ取り堕落させる。人間という存在を徹底的に蔑む姿勢を表現するプライスの嫌〜な顔が様になりすぎててサイコー!

原作で「世の辛酸を知らぬ、快活な、勇気あり巧智ある方」と表現されるプロスペロと印象は異なるも、その実、未熟で無知で臆病で利己的な権力者の実体を浮き彫りにすることで恐らくディスろうとした原作と方向性は同じ。人間を愚かなものだと指摘する存在である本作の探求者プロスペロに「虚無」が突きつけられるのに対し、地獄の中でも生きようとする者(「愛情」「未来」「慈悲」の体現)にかろうじて救済が施される本作は「人間の善性」への信仰を体現したもの。これは、原作に『第七の封印』をミックスさせ、そこにコーマンの優しさをまぶした結果でしょう。

ニコラスローグによる撮影も美しく、黄→紫→白→黒(赤)それぞれに彩られた部屋を跨いだ移動の往復や、赤い死神のローブによって赤く染め上げられていく地獄のような舞踏会は「死の舞踏」と呼ぶにふさわしいインパクト。恐怖シーンにおいても始点・終点の落差を意識した行って戻るカメラの長回しの中に、カーテンの揺れ、合間に広がる心の闇、吹き荒ぶ風を盛り込みつつも「静けさの恐怖」を強烈に感じさせる素晴らしい演出。

なぜ『第七の封印』かってところだけど、疫病蔓延する世界だけでなく、原作の「7つの部屋」による段階を追った終焉を7つのラッパに見立てたからこその引用なのかなとか思った。「死の仮面」も出てくるし、死神とのバトル(本作はカード)も出てくるし、とにかく引用がエゲツない!でも、『第七の封印』では死神はペストの直接的な原因としては描かれていなかったのに対して、本作の死神は赤死病という死の疫病を運んでくる『吸血鬼ノスフェラトゥ』のような存在へと改変されていたり、少しだけ助けてくれたりするのは面白かった。ベルイマンのような自己探求の過程の発露としてではなく、あくまでも興行師的なコーマンのらしさを重視した楽しませる作品として素晴らしいと思う。ずっと買おうと思ってた作品なので、U-NEXTマジで感謝!見て良かった!
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