みどりです

赤目四十八瀧心中未遂のみどりですのレビュー・感想・評価

赤目四十八瀧心中未遂(2003年製作の映画)
3.9
原作は車谷長吉のワタクシ小説『赤目四十八瀧心中未遂』。大学入学以来、これに勝る出会いはない。
長吉は苦労をした人で、大学を出ると東京日本橋の広告代理店に勤め、2年半で辞めた。因業な会社だったらしい。「この会社は安月給だったので、どんなに切り詰めても、一日二食しか飯が喰えませんでした」。次に勤めたのはこれまた因業な総会屋の会社で、「高給だったが二年半で辞めました」。それから三十代の八年間は月給二万円で料理場の下働きをしていた。

「東京駅から姫路まで無賃乗車で電車を乗り継ぎ、播州飾磨の親の家へ逃げて帰った。併しそこで私は、私には「逃げて帰るところ」はないということを思い知らされた。親の家を出た。以後九年間、姫路で料理旅館の下足番になったのを皮切りに、京都、神戸元町、西ノ宮、尼ヶ崎、大阪曾根崎新地、堺、神戸三ノ宮町、神戸元町のタコ部屋を風呂敷荷物一つで転々とした。つまり、無一物で住所不定の九年間である。私にはそれが私の「世捨て」だった。」

『赤目四十八瀧心中未遂』はフィクションだが、長吉の実際の経験を基にしていることは間違いない。
「近松門左衛門は《文学における真は虚実皮膜の間にある》と言うた。」長吉はどうやらこの「虚実皮膜」という言葉をかなり意識していたらしい。長吉の作品には不思議なリアリティがあるが、間に受けることはできない。長吉の死後、妻である詩人の高橋順子さんが発表した『夫・車谷長吉』ではその裏側を暴露されている。現実世界でも話を盛る人だったらしい。「長吉の話は五割引きで聞いている」

彫眉の役を内田裕也が演じていたのは驚いた。意外にハマり役だった。彫眉が鶏の目に剃刀を投げつける場面は流石に映画中に無かったが、その描写が無くとも十分に恐ろしさが伝わってきた。
セイ子姉さんの喋り方が苛烈とは言えないのが残念だったが、タバコを吸うときに大仰に唇をすぼめる仕草は、パン助を容易に想像させて、見ていて惚れ惚れとした。

「このころ長吉原作、荒戸源次郎監督、寺島しのぶ主演の映画「赤目四十八瀧心中未遂」が完成。試写会の後、長吉は走りだして寺島しのぶさんを抱きしめる。アヤちゃんを演じられるのは、当代ではこの人しかいないだろう。舞台で鍛えた演技力、度胸、声のよさ。この映画はあらゆる賞を取った。荒戸さんは「車谷さんはこの本執筆に六年をかけたそうだが、私も六年をかけた」と執念のほどを語っていた」
寺島しのぶさんは素晴らしかった。迦陵頻伽、俺もタトゥーではなく刺青を入れたい。

原作への贔屓抜きにしても良い映画だったと思う。特に最後の瀧。ただ、細かいことながら、コンクリ詰の場面など、チープになることが分かり切っている場面をどうして入れるのか。多くの邦画はそこが理解できない。同じくチープな音楽を挿入して一種自虐的とも取れる表現だが、果たしてそれが映画を良くするのだろうか。

映画ポスターの「花束を握った女性が池の中に沈んでいる」という構図は、樹木希林さんの「オフィーリア」をモチーフにした有名な写真と似ている。もしかしたら何かしら影響を受けて制作されたものなのかもしれない。

兵庫、大阪、京都の街並みを見ると帰省したくなる。若いうちに東京を経験していてよかった。思い残すことなく他の土地に移れる。
とにかく、早く赤目四十八滝に行きたい。