苔まみれの岩と石と倒木に映え、太陽の光線が見事な縞目を作る。
その縞目を受け止めるように瀧はどこまでも律動的に流れ、寺島しのぶと大西信満は互いに言葉を交わす事なく、あくまで曲線的に歩く。
このふたりが黙々と目指す、言葉そして音声を超越する世界、母胎の子宮にも似た心中の瀧壺にいざなうように、水流も瀧の周辺を彩る低木や蔓草までもが静寂という音を奏でてゆるやかに受け止めます。
同じ近松門左衛門(冥途の飛脚)のような死への道程てはまるで異質の彼らは、いわば絶望と厭世の混合物。
あるいは自棄と破滅の化合物。
どこに転生しようが同じこと。生きている限り安住の地に辿り着けるわけがない。
だが行き着く先には野辺に繁茂するの雑草と咲き乱れた千草の中に不釣り合いなほど精巧に拵えられた矢倉台座の上から内田裕也、大楠道代らが先回りしたように彼らふたりを見下ろしています。
もはやどちらが現世(うつしよ)なのか。
敏腕プロデューサー荒戸源次郎さんを実際に見たのは阪本順治監督、笠松則通撮影監督、大和武士さんらと横浜でのトークショーの時。
荒戸源次郎事務所次回作『王手』『夢二』が世に出る直前の事です。
かなり離れた位置からにもかかわらず、目前にいるような巨漢に圧倒されました。
数十年後、大森立嗣監督『ゲルマニウムの夜』を巡って麿赤児、大森南朋にインタビューアーとして現れた時はまるで別人のように痩せておられました。
決して長くない生涯で鈴木清順を復活させ、阪本順治監督をデビューさせた功績は文字通り瞠目に値しますがご自身がメガホンを取った『ファザーファッカー』『人間失格』とこの『赤目四十八瀧心中未遂』も力作です。
この性(生、ではない)と死のフェアリーテールを埋没させるのは余りにもったいない。
この作品のエンドタイトルは(完)でも(終)でもなく(合掌)です。