真一

planetarian 星の人の真一のレビュー・感想・評価

planetarian 星の人(2016年製作の映画)
4.2
 舞台は、28年前の核戦争🔥で人類絶滅が秒読み態勢に入った地球🌎。廃墟と化した静岡県浜松市の市街地をバズーカ砲片手に徘徊し、ハイエナ🐺のように物資を漁る孤独な「俺」が、最後に見いだした希望とは―。

 大気汚染により二度と見ることができなくなった「満点の星空🌃」への想いをテーマに、生きる意味を問いかける近未来SFアニメ。オタク系アニメが好きな方であれば、美少女ロボット「ほしの ゆめみ」の切なすぎる笑顔に、涙腺を崩壊させられること間違いなし。「泣かせ」で定評があるKeyプロダクションが2016年に放った、知られざる力作です。

 「核戦争🔥後の人類絶滅期の人々は星空🌃を見たことがない」という設定が、ぐっと来る。荒くれ者の主人公の「俺」も、星空を知らない世代の1人だ。そんな「俺」は、食糧を物色するために入った廃墟ビル🏢の中で、この荒涼とした時代に存在するはずがないツインテールのコスプレ系少女👧と出会う。

 「プラネタリウムはいかがでしょうか」。無邪気にほほ笑む少女ゆめみ。この場所は浜松市にかつて実在した旧松菱デパート🏬で、ゆめみは、デパートに併設されたプラネタリウムの客寄せロボットだったのだ。

 最初は馬鹿馬鹿しくて耳を貸さなかった「俺」だが、28年ぶりに自分という人間がここを訪れたことでゆめみは再起動し、エメラルド・グリーンの瞳を輝かせながら、平和の時代の象徴とも言えるプラネタリウムの上映告知を始める。この小さな奇跡を前に、固く閉ざされていた「俺」の心の扉が、少しずつ開いていく。

 観客は「俺」1人。静寂の中、ゆめみの生き生きとしたナレーションが始まる。「ご覧ください。こちらが夏🌴の大三角形です!」「アンドロメダ姫👸の命運はいかに!」。生まれて初めて目にする満点の星空と、夜空🌑を駆ける星座✨に「俺」は心を奪われる。途中で投影機🎥が動かなくなり、上映中止を申し訳なさそうに伝えるゆめみ。「俺」は叫ぶ。「いいから、続けてくれ。お前の説明があれば十分だ」

 暗闇の中で、ゆめみの最後のナレーションが、人類にとって最後になるだろうプラネタリウム上映が、ひっそりと再開される。「俺」の心のスクリーンに写し出された星々の輝き🌠が、観る人の涙腺を刺激します。

 この作品は、ゆめみに人間の感情があるかどうかは焦点に据えていない。見た限り、ゆめみはプログラム通りに発話している印象を受ける。それでも心を揺さぶられるのは、そのプログラムに、核戦争🔥が起きる前に生きていた世代の星空🌃への憧れや、平和への素朴な願いが込められていたからだ。

 受験戦争。企業戦争。貿易戦争。そして本当の戦争。戦争という名を冠するものは、いずれも「競争」「緊張」「対立」を思い起こさせる。これに対し、プラネタリウムが連想させるのは「家族と休日」「まったりデート」「午後のひととき」「ささやかな幸せ」と言ったところか。要するに、戦争とは、真逆だ。プラネタリウムに非戦への思いを重ね合わせたKeyプロダクションのセンスに、胸を打たれた。

 ただ、この作品には欠点もある。居丈高に振る舞う男の「俺」を、女のゆめみが献身的に支えるパターナリズム的展開を正当化している点だ。「俺」は、ゆめみから平和の尊さを学んだものの、自らの男尊女卑的な態度を反省するそぶりは見せなかった。その「俺」を、ゆめみは当然のように受け入れる。男からすると、そこが気持ちいい。この「男は女に甘えてOK」的なストーリー進行に引っかかる人は少なくないと思う。

 一つのテーマで理想を掲げても、別のテーマで無意識のうちに地雷を踏んでしまっている作品は結構多い。このアニメも、そのうちの一つかもしれない。ただ、泣かされた後だけに、何を言っても説得力なし。考察はこの程度にとどめておきます。
真一

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