空の落下地点

イン・ハー・シューズの空の落下地点のネタバレレビュー・内容・結末

イン・ハー・シューズ(2005年製作の映画)
3.1

このレビューはネタバレを含みます

結婚式でマギーが朗読するとこでボロボロ泣いてしまった。
喪失や分離がテーマになった深い映画です。
老人ホームで失明して寝たきりになってしまった入居者は、根気強くマギーに朗読を頼みました。彼はマギーがブロンドで美人なことも知りません。
マギーは疎遠になっていた祖母に、追いかけて来てほしかった。
人を指導する上で大切なのは、なぜ嫌がっているのかを知ろうとすることでしょう。この映画の中では、姉の婚約者サイモンも追いかけて来ます。
関係性を諦めないことで物理的な分離は避けられます。
ラスト、車に乗って遠ざかっていく姉と、見送る妹の図を姉視点から。このシーンは、比較対象として見ることからの分離なのだと思います。もちろん妹が自立して、親離れ的な解釈も出来ますが。自らのコンプレックスからの卒業式でもあったのでは。
そして、喪失。賢いからこそ恨まずにいられる。本当ならお父さんと絶縁してもおかしくないようなことが起きてる。マギーは読書と計算の障害で無職、お母さんは育児うつ病と問題抱えすぎでアメリカの福祉システムを疑う。お父さんのワンオペ育児にも支援が必要だった。
結婚式で伝統の靴を履くお姉ちゃん。高級ブランドのものでもなければ、ちょっと時代遅れな感じの。まず、喪失を経ても物が遺るんだ。お母さんも履いたかもしれない靴が。
老人ホームの元教授の死後、マギーは結婚式で詩集を朗読。たどたどしくもなく、詩を自分のものとして姉の心に届けてる。ただ読んでいるだけなのに、それはちゃんとマギーの気持ちになっている。寧ろマギーが自分で考えるよりも、出来合いのものに彼女の声をプラスした方が良いこともあるのでは。それは障害の否定じゃない。全体的に装うことの肯定でもある。一家伝統の靴を履く、他人にスタイリングしてもらった服でデートに行く。朗読の場合、声が肉体で詩は服なんだ。もしも言語化に自信が無いのなら、詩を着たって良い。
喪失を経て、靴と人間と能力が遺る。形有るものも無いものも遺ってる。家族が再び結びついたり、マギーと教授の孫が出会ったり。
イル・ポスティーノの要素が入ってるように思いました。詩は必要としている人のものです。生きているだけで足跡が残ること。
空の落下地点

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