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ヒッチ・ハイカーのhorahukiのレビュー・感想・評価

ヒッチ・ハイカー(1953年製作の映画)
3.7
やっぱりヒッチハイカーは乗せちゃダメ!

初アイダルピノ。これまたAmazonプライムで配信中。ヒッチハイカーを乗せたら案の定ヤバイ奴だった!っていうやつの原点的映画(多分)。実際に起こった事件をモデルとしたらしく、淡々としたリアリティの中に的確なサスペンス演出が光る面白い作品でした!上映時間が70分と短いのも良き!!

「最近ヒッチハイカーによる殺人が横行してるから気をつけてよ!」って報道が出てるなか、何の疑いもなくヒッチハイカーを拾うオッサン2人組の危機意識の無さよ!😂しかも妻に行き先を嘘ついて、こっそり魚釣りに行ってる最中だったもんだから、「ヒッチハイカーは〇〇の車に乗って〇〇に向かってると思われます!」とか全国放送でバラされちゃうという二次被害まで被ってるの笑える🤣2人とも脇が甘すぎ!!

常に銃を向けられて二次被害まで受けてるオッサンたちは色んな意味で相当恐怖してるわけだけど、本作では被害者側であるオッサンたちよりも、真に恐怖しているのは加害者側であり殺人鬼であるはずのヒッチハイカーだということを印象づける演出を徹底しており、そこが後発の『ヒッチャー』や『ヒッチハイク』『ラビッドドッグス』との違いとして興味深いところ。

オッサン2人に対して速攻で支配関係を確立する本作のヒッチハイカーの巧妙さと手練れ感に、後発作品の犯人たちと同様な強権的なイメージを感じさせながらも、どんどんとその印象を矮小化させていく。ポケットに突っ込む手とか、ヒッチハイカーの片目麻痺(常に片目が開いてるから、寝てるか見張られてるかが判断できない)とか。どれも「わからない」という感情を恐怖に変え支配するハイカーの手段でありながら、そこに通じない言語を加えることでハイカー側の孤独・孤立が顕著となってくる。

支配権を握っているようで、常に何かに怯え続けるハイカーは時代・社会の被害者として、冒頭文「誰もに銃が向けられる可能性があるのだ!」的な矛先を被害者側のオッサン2人に向けつつも、それは誰もが加害者側であるハイカーとなる可能性と表裏一体であることに言及し、その加害者(被害者)に見向きもしない外見上は豊かな資本主義社会(飛行機は彼らを発見しない)を痛烈に批判しているのがわかる。

『見えない恐怖』のように、ヒッチハイカーの足元だけを映し悲鳴や落下物等々で画面外の惨劇を推察させる婉曲的なカッコイイOPから始まり、すれ違う人々や様々なアイテムを用いて即席的なサスペンスを生み出しては数珠繋ぎに連ねていく。それも、大袈裟なことはせずに細やかなスリルを連なるからこその冒頭で示される観客に向けられるリアリティの担保として機能していて良い感じ!

そんで何より、殺人鬼の魔の手から逃れたとしても、家で待つ奥様からは逃がれようがないというオッサン2人の人生の詰み具合もサイコーで、描かれないエンド後の展開が非常に気になる映画でした😂
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