菩薩

囚われの女の菩薩のレビュー・感想・評価

囚われの女(1968年製作の映画)
4.1
不能が故の精神的支配と、生殖の先にある性的快楽の追求、己の中の禁止の侵犯→エロティシズムのバタイユ的思考、解放からの抑圧、隷属に対する安心感、孤独を超えた連続性への回帰(ノスタルジー)、突出した男性器と隠された女性器、その発掘と汚されていく美意識への執着、エロス的人間としての生き方、俗なる世界から聖なる世界への逃避、その先に彼女に残る物、者は誰になるのか。性と死が一直線の延長線上にあると同様に変態と芸術も常に同じ線の上に存在している、何も偏執的な歪んだ性的嗜好の話ではなく、生み出す(産み出す)と言う行為についての話、不連続性から連続性へ、それは労働からの逃避でもある。明け透けな夫婦関係、禁止項目を築かないからこそ己でそれを課し、それを侵犯していく事により「人間」としての価値を獲得していく、人は誰もが「立ち入り禁止」の領域に踏み込みたい願望を有しているものである。にしたってラストのサイケデリックな描写が秀逸過ぎる…痺れた。
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