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もののけ姫のoimoのレビュー・感想・評価

もののけ姫(1997年製作の映画)
5.0
殆どのシーンで一緒に台詞が言えるくらい繰り返し観てきた大好きな作品。
こんなに観ても地上波でやる度に意気込んで8時50分にはテレビの前でスタンバってしまう- ̗̀ 🥔 ̖́-


初めて観た子供の頃、本作が描く"取り返しのつかないレベルの喪失"にトラウマ級の恐さと悲しさを覚えたけど、大人になって観てもその感覚は全く色褪せない。そういうのを嘘臭くなく説教臭くなく、それなのにド直球に真正面から描ききってしまえることに宮崎駿の凄さを感じる。

ジブリ作品の他タイトルでもよく描かれている"取り返しのつかないレベルの喪失"とそこからの"ささやかな再生"。
この再生ターンに私は昔から少しモヤモヤしてしまう。環境を破壊してしまっても自然が全部受け止めて勝手に再生してくれるから大丈夫、という無責任な他力本願さと安心感を感じてしまうから。
だけど、どんなクソな世界でも希望を描きたいと宮崎監督が話してるのを何かの記事で読んだことがある。
エボシのここを良い村にしよう、とか笑って呆れるジコ坊こそが本当に監督が描きたかったことなのかもしれないな…と大人になった今ようやく思えるようになった。


ただ生きるだけで生活排水を垂れ流し空気を汚染して資源を浪費し他のあらゆる生き物を搾取し続けなければ維持できない人間の営みに相応の価値や重みがあるのか、子供の頃はどれだけ考えても肯定的な答えを見付けられなかったし、それで本気で悩んで大人に聞いてみても笑って馬鹿にされるだけで持て余した強い不安感と絶望感から小学生の頃には自殺未遂(夜寝る時に布団を頭まで被って窒息死しようとするような可愛いもんだったけど😂)を繰り返すような子供だった私には、シシガミの森が失われて行くところからサンの「人間なんか大嫌いだ」まではまさに自分が常々感じていることがそのまま映像化されてる感じがして衝撃的だった。
今も私達は現在進行形で環境破壊という名の神殺しを繰り返して凄い勢いで喪失を続けているし、失敗からエボシみたいにも学ばない。ジコ坊みたいに負けを認めて諦めることもない。愚かさに拍車がかかるばかりで、誰もが小さく馬鹿になりつつある。森を愛してると言いながら文明社会の真ん中でスマホをいじってる私達は小さな頭を悩ませてみたところで結局全員浮気者でどっちつかずのアシタカだ。私には今の世界に全く希望なんて見出せない。

こういう思考は周りをムカつかせるし自分も病んでく一方だから普段は意識して切り離すようにしてるけど、本作を観るとどうしてもこういう気持ちがムクムクしてくる。悲しさでいっぱいになってしまう。だけど怒りと絶望ばかりで世界を塗り潰しちゃいけないよ、と言って貰えてるようで、結局は強い違和感を感じるラストの再生こそ、私自身いつも観たがってきたものなのかもしれないなぁと、このレビューを書きながら初めて思いました。

絶望しないように、曇りなき眼を持って強かに生きながら今後も自分に出来ることを続けて行きたい。
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