一人旅

愛に関する短いフィルムの一人旅のレビュー・感想・評価

愛に関する短いフィルム(1988年製作の映画)
5.0
クシシュトフ・キエシロフスキー監督作。

向かいのアパートに住む年上の女・マグダと、彼女を望遠鏡で覗き見する郵便局員の青年・トメクの愛の行方を描いたドラマ。
同監督の『アマチュア』ではカメラが現実と非現実の境界となる役割を果たした。本作は望遠鏡を通じて、肉体的接触を伴わない観念的な愛のせめぎ合いを静謐な映像の中に映し出している。通じ合わない愛の悲哀をこれほどまでに重く、絶望的に捉えた作品を他に知らない。“純愛”を訴えた安っぽい映画は数多く存在する(特に日本はその傾向が顕著)が、その大半は、単純な感動を観客に与えるために愛を利用しているに過ぎない。
そうした中で本作は愛の本質を描く。肉体的に結びつくことと、精神的に相手を愛することの違いを明確に示しているのだ。頑なに愛を訴えるトメクに対し、愛を忘れたマグダは自身の性的魅力を駆使して無垢なトメクを射精に導く。「これが愛の正体よ」冷たく言い放つマグダ。優等生的な“純愛”映画には絶対に真似できない演出だ。マグダにとって愛と性的欲望はイコール関係であり、マグダに対し何も求めないトメクの無垢な愛を信じることができない。望遠鏡で見るという行為が、マグダとトメクに縮めようのない距離を生み、愛に対するそれぞれの姿勢が真逆の方向を向いていることを象徴する。本当の愛は巷に溢れる純愛を騙った映画とは異なり、決して綺麗事では済まされない。愛にはどうしようもないほどの孤独や痛み、そして絶望が伴う。本作はそうした愛の本質を、一歩引いた視点からつぶさに見つめている。
そして、見るトメクは見られるトメクへ、見られるマグダは見るマグダへ。前半と後半で愛の主人公はトメクからマグダへと違和感なく交代していく。これこそが、望遠鏡を覗くことで観念的な愛を表現していたトメクに、愛を忘れたマグダが取って代わる瞬間である。つまり、肉体的欲望に愛を遮られていたマグダが、トメクの無垢な愛と自身の“愛の変化”を初めて確信する場面なのだ。観念的となったマグダとトメクの幻影が、観念的な愛によって結実していくラストカットに涙が止まらない。このワンショットは本当に素晴らしい。軽々しく愛を騙る全ての映画を蹴散らす勢いで、汚れなき愛の正体を見事に可視化させたショット。キエシロフスキー全作品の中で最も輝きを放つショットと言っても過言ではないはずだ。
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