Keigo

愛に関する短いフィルムのKeigoのレビュー・感想・評価

愛に関する短いフィルム(1988年製作の映画)
4.3
『愛に関する短いフィルム』
まずタイトルがいいじゃない。単刀直入で。言うほど短くはないけど。

キェシロフスキ三作品目。
『終わりなし』のDVDに一緒に収録されていたのでそのままの流れで。
監督の語り口にも慣れてきて、だんだんと心地良くなってきた。本数を重ねるごとに、好きになっている。

『終わりなし』では喪失感に苛まれる未亡人を見事に演じていたグラジナ・シャポロフスカが、今作ではまた違った表情を見せている。大人の女性の滲み出る色気。魅力的な女優だ。そして郵便局員の青年トメクを演じたオルフ・ルバシェンクのウブな雰囲気もとてもいい。彼らのルックスが醸し出す雰囲気も、この作品にとってはかなり重要な要素であると思う。

この作品が語る愛に関するメッセージに辿り着くまでには、いくつか乗り越えなくてはいけない障害のようなものがあると思う。それは自分自身の中にある、常識や偏見や固定概念。自分を守るためにベタベタと塗り固められたそれらを、剥がしていく作業が要求されているように感じた。

「うわ、童貞くんの覗き見…気持ち悪ー」とか「こわい。こんなのただのストーカーじゃん」とか「キスがしたいわけでも、SEXしたいわけでも、旅行に行きたいわけでもないのに、なんで愛していると言える?」とか、そんな風に思ってしまうのも無理はないのかもしれない。

まるでいくつも罠が仕掛けられているかのようで、その罠にかかってしまうと、たとえ映像は最後まで見ていたとしても、心はメッセージを受け取る前に離脱することになってしまうのかもしれない。正しさや正しくなさ、意味や理由に縛られてしまうと見失ってしまう。

そして仮に、それらの罠をすり抜けて無事に最後のメッセージに辿り着けたとしても、それはにこやかに受け取れるものでもない。現実に覗きやストーカーを肯定する気にはなれないからだ。そこに最後の試練がある。

マグダがそうであったように、分かったつもりで他人とどれだけ触れ合っても、いくら身体を重ねても、一向に満たされない。愛の本質に気付くまでは。

愛とは何か。
愛は触れる事でしか、生まれないのか。
双方向か、一方向か。
自分はどれだけ、愛を信じられるのか。

思っていた以上に、愛に関するフィルムだった。
Keigo

Keigo