Foufou

吸血鬼ノスフェラトゥのFoufouのレビュー・感想・評価

吸血鬼ノスフェラトゥ(1922年製作の映画)
-
これ、ブラム・ストーカーの原作の初の映画化なんですね。許可なく映画化したため、故人となった作家の夫人に訴えられた。人物名とか地名とかを変え、これは似て非なるものだと主張したけれども敢えなく敗訴、原フィルムは原告方に渡り廃棄されたと。ところが私家版のフィルムが現存し、後世日の目を見ることに。ただしこの辺りの消息については、いくつか異同がある模様。

ドイツ表現主義の実際ついては、わたくしがここに言を尽くすまでもございません。技術的に未熟だったからこその表現の工夫というものがあり、それがそのまま映像表現とは何かという本質を突いているという議論はよくわかるし、だからこそフロイトを想起させるような、人の恐怖の源泉に触れ得てるとも思う。影の演出なんか、ほんとうに素晴らしいですね。

馬が走り、馬車が走り、帆船が銀幕を右から左へゆっくりと横切り、群衆が街なかを駆けていき、通りの向こうから静々と棺桶を担ぐ列が続く。映画の原点ともいうべき運動に満ち溢れている。「こんにちは、映画さん」と久々に襟を正して深々と頭を下げる瞬間ですね。

こうしてドラキュラという物語の種は蒔かれ、こんにちに至るまで吸血鬼ものは量産され続けている。吸血鬼とはペストの比喩ですからね、感染をベースとするゾンビものは遠縁といえるでしょう。好むと好まざるとに関わらず、昨今のホラーの大半はムルナウの子どもたちと言っていいかもしれない。

ところでムルナウのドラキュラは、バッチリ鏡に映っておりました。ドラキュラの特徴が後世どのように変遷するものか、研究した人はいないのかしら。

いるんでしょうね。
Foufou

Foufou