かじドゥンドゥン

血を吸うカメラのかじドゥンドゥンのレビュー・感想・評価

血を吸うカメラ(1960年製作の映画)
3.0
人間の(特に子どもの)恐怖について研究している心理学者を父にもったマークは、夜な夜なベッドで父から恐怖体験を強いられ、その反応をビデオで記録されて育った。そのせいか、現在のマークは、映画スタジオでカメラマンを務める傍ら、娼婦の宣材写真を撮る副業をいいことに、目をつけた女性に三脚のとがった脚を突き付け、さらにはそれが突き刺さるときの恐怖と苦痛に歪んだ顔をビデオで撮影して、異常な性癖を満足させている。

しかし、深夜のスタジオを利用して、若手女優を殺害・撮影した件で、いよいよ足がついたマークは、刑事に追い詰められると、あらかじめ予定していた通り、カメラを回して自分の表情を記録しながら自殺した。遺体のそばで崩れ落ちるのは、マークと同じアパートの住人で、彼に思いを寄せていた女性。マークは、愛する彼女の恐怖こそ鑑賞したいと望みつつも、その欲望を抑え込み、彼女には自分の罪さえ打明けたが、こうして恋は実らずに終わった。

作品の後半で、マークが窃視症だという話や、さらにはファザコンや同性愛の暗示もある。さまざまな性的指向や倒錯がいっしょくたにされているが、恐怖に歪んだ表情への異常な執着に絞ってよかったのではないか。つまりそれぞれの関連性が見えにくい。