ほーりー

黒い十人の女のほーりーのレビュー・感想・評価

黒い十人の女(1961年製作の映画)
4.0
「誰にでもやさしいということは誰にもやさしくないということよ」

鋭いこと言いますねぇ。お富士さん!

市川崑監督の前衛的な演出が冴え渡るカルト映画『黒い十人の女』。

自分が映画を観始めた頃には既にリバイバル上映されたり、テレビドラマもやったりして、普通に有名な作品だと思っていたのだが、それ以前は滅多なことじゃ観れなかった幻の作品だったそうな。

それまで家庭に納まっていた女性が社会に進出するようになった60年代。

かつ、それまで人間らしいペースで仕事ができていたのが分単位で要求されるようになった60年代。

そんな時代を色濃く反映し、ストレートに批判した映画であり、メッセージが露骨な部分は否めないものの、エキセントリックな会話劇として最後までグイグイ惹き付けられる。

深夜、ある女が八人の女と一人の幽霊に取り囲まれ、そこから回想シーンがスタートする。

テレビプロデューサーの風松吉(演:船越英二)は本妻(演:山本富士子)の他に、新劇女優(演:岸恵子)、局の出入り業者(演:宮城まり子)、コマーシャルガール(演:中村玉緒)、演出助手(演:岸田今日子)など9人の女と関係していた。

彼女らはあんな男なんかと思いつつ、他の女と一緒にいるところを見てしまうと嫉妬せずにはいられない。

やがて彼女らは共同戦線を張るようになり、奇妙な関係になっていく。

ある日、本妻は夫と九人の愛人を自分が経営する店に呼びつける。

愛人たちを前にしていたたまれぬ時間が続いたと思いきや、妻は夫との関係を解消するために拳銃を彼の方に向ける。銃口は火を吹いて夫の胸は真っ赤に染まり床に倒れ込むのだった。

これだけ女遊びしていても様になっているのはマルチェロ・マストロヤンニと船越英二だけだと思う。さすが船越さん、和製マストロヤンニと言われただけはある。

「あの人(船越)は現代の機構がなければ電信柱と同じよ」と序盤に言い当てていた岸が、実際に船越が外界と遮断されると途端につまらない男に見えてしまい、嫌気が差すのが何とも滑稽。

ラストの車の火災シーンは、岸の将来が波乱に満ちたものであることを示唆しているとか、船越が逃走を図ろうとして事故を起こしたとか、色々な推察ができるけど、自分は本編を観ただけでは正直よくわからない。

というのも、この直前の岸の送別会のシーンで、本編では岸と山本が(少なくとも表面上では)仲良く別れているのだが、本作の予告編を観ると何と岸が山本に平手打ちを食らわしているのである。

これだけで判断するのもあれだけど、本作は撮影中、何度もストーリーがリライトされていると思われ、結局あの炎上シーンだけが本編に残って、それに繋がる伏線が全部削除された可能性もある。

だからああいう不思議なラストだったのかもと思う。

■映画 DATA==========================
監督:市川崑
脚本:和田夏十
製作:永田雅一
音楽:芥川也寸志
撮影:小林節雄/築地米三郎
公開:1961年5月3日(日)
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