せいか

機動戦艦ナデシコ -The prince of darkness-のせいかのレビュー・感想・評価

1.0
2/11、youtubeで公式配信されていたものを視聴。去年の年末ごろにテレビシリーズ版の前後編も配信されており、それから少し間を置いてから本作も公開された。TV版も公開時に視聴している。TV版にしろ、劇場版にしろ、過去にも観たことがあったので、今回は久々に本作に触れる機会になっていた。全体的にコメディーテンポで軽やかに振る舞いつつも、不条理なシリアス、ヒーローや物語的なご都合さの否定が落とし込まれているのが魅力のある作品で、やはりそういうところに好感を持っているのだよなあと改めて思ったりもしていた。そしてTV版にしろ劇場版にしろ、話のスケールがめちゃくちゃでかいのに淡々と圧縮し、説明不足なくらいのスピードでどんどんぶっ飛ばされていくのだよなあというのも、再視聴の身でもそこは思わされた。何をやってるのかをめちゃくちゃ頑張って察しながら観ないといけない作品というか、作品世界がその世界として自然に振る舞っているのをわれわれが勝手に外部から観ているだけなのだという不親切さが一つの特徴でもあるよなあと思う(例えば、他人の家に設置した監視カメラを勝手に観ているような感じで、われわれはその家庭が持つコンテクストを知り得ない状態で観ているので置いていかれるものがあるというか)。TVシリーズのほうは劇中劇という描写があったけれど、ナデシコという作品はまさにそれを改めてナデシコを見ている現実のわれわれのほうにもそういう意味で侵食してくるものがあるのだろうとは思う。

本劇場版は混乱しつつも一応の大団円で終わったTVシリーズの後日談に位置するもので、主人公とヒロインなどの主要人物が死んでいるという展開から始まるというショッキングな展開から始まる。そこからさらに、それらの死は実は偽装で、身の安全のためにそのようにされた者がいたり、人間翻訳機という装置として組み込まれてしまっていたり、復讐鬼になっていたりと、さらにもう一段階ショッキングな展開を繰り広げつつ、艦長となっていたルリを中心にして突っ走っている物語を辿る内容になっている。ほとんどの登場人物たちはもはや艦からは離れてそれぞれの人生をそれぞれに歩んでいたりもして、その淡泊さや現実感というか空気感が実にナデシコっぽい感じが一番するところがある。閉じた世界の中で大人しく収まっていないというか。

TVシリーズ同様、劇場版もだいぶやってることはハードなのだが、いかんせん、上記したように視聴者はその世界を覗き観ているだけという立場に強制的に置かれていることをしみじみと実感させられる作品でもあるので、そこまでしんどい気持ちになりながら観るということはなく、とことん、画面を介してその世界を観ているというのを味わうことになる。ので、ヘビーだとか、重たいとか、そういうことも私は一切と言ってもいいほど感じなかった。確かに、どういうことが起きているらしいのかというのは分かるけれど、そこに肩入れさせることは断絶されている作品づくりになっているのでそうならざるを得ないというか。翻って現実を見ても、例えば、遠くの地の不幸なり、そこまでいかなくとも身近な周辺のものに対してそういう眼差しになっていないかみたいなところを意識させられるというか(そこまで狙ってやってるのかはともかく)、そういう皮肉をある種、表現しているというか、無理やり追体験させる構造になっているような気もする。淡泊に何でもないように流されていくものの中にあるえげつない残酷さが、ちゃんと意識して捉えていないと掬い取れないようになっているというか。

だから、一から十まで懇切丁寧に展開していくオハナシになると、ナデシコはナデシコではなくなるんだろうなあと、なんだかズレたところを今回の再視聴ではしみじみと思った。
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