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引き裂かれたカーテンのodyssのレビュー・感想・評価

引き裂かれたカーテン(1966年製作の映画)
2.0
【これでスパイ?――ヒッチコックの映画(その7)】

BSにて。
ヒッチコック嫌いなので、初鑑賞かと思っていましたが、遠い昔にどこか(TVだったか)で見たのを覚えていました。

覚えていたのは、米国の学者ながらスパイであるポール・ニューマンが、東ドイツの学者を騙して数式を盗み取る場面。
すばらしいと思ったからではありません。
逆に、何か後味悪いな、と感じたからです。
学者同士の競争なら、フェアプレイでないといけないんじゃないか、と。

この映画は、そもそもが学者がみずから志願して社会主義圏から学術情報を盗む、という筋書なんですよね。
米国の愛国心が強調されているけど、防衛的な意味でならともかく、能動的に相手国に機密を盗みに出かけて、それが愛国心なのかなあ、そもそもスパイとして養成された人間ならいざ知らず、本来は学者なのに・・・と。

それに、今回改めて鑑賞して、筋書があまりにお粗末なのに愕然。
まず、スパイとして社会主義圏に行く前段階の外国旅行に婚約者(ジュリー・アンドリュース)を同行しているという設定。アリエネー、でしょう。しかも彼女は何も知らない。こんな場合、彼女は米国に残してくるのが当然です。

次に、ニューマンが東ドイツに入国した翌日に、現地に住むスパイ仲間に会いに出かけていること。
アリエネー、でしょう。
米国から来たばかりの学者に、スパイの疑いがかかるのは当然だし、監視者に尾行されるのも当然です。
それを下手にまいたりすれば、スパイの嫌疑が濃厚になるだけ。
つまり、ニューマンはスパイとしてやってはいけないことばっかりやっているのです。
必要な情報は社会主義圏に入る前に全部インプットしておくべきだし、最低、東ドイツ側に或る程度信用されるまではスパイ同士の連絡は慎むのが常識です。

こんな基本的なことも無視した脚本で映画が作られているとは、ちょっと信じられません。
脚本はヒッチコックではないものの、さすがヒッチコック、お粗末な脚本をそれと分からずに映画化してしまう無能ぶりには、やっぱりと言いたくなります。繰り返しますが、私はヒッチコック嫌いなので。

いいところもなくはありません。
ラスト近くに出てくるポーランド出身の老伯爵夫人には、ちょっとほろりとさせられる。あの時代、ああいう境遇の人はいたと思いますね。
それと、ベルリン行きの飛行機に一緒だったバレリーナが、ラスト近くで再登場していること。ここだけは脚本をほめるべき。繰り返しの技法も活かされていますし。
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