デニロ

ガートルード/ゲアトルーズのデニロのレビュー・感想・評価

3.5
1964年製作。原作ヤルマール・セーデルベルグ。脚色監督カール・Th・ドライヤー。ホームページの惹句/弁護士の妻であるゲアトルーズは夫との結婚生活に不満を抱き、若き作曲家エアランとも恋愛関係にある。ある日、彼女の元恋人であり著名な詩人ガブリエルが帰国し祝賀会が催され、ゲアトルーズはエアランの伴奏で歌唱するが卒倒してしまう。愛を探し求め続けたゲアトルーズの姿を完璧な様式美の画面におさめ会話劇に徹したドライヤー遺作にして集大成的作品。/ということです。同じページに、/『ゲアトルーズ』は狂気と美しさにおいて、ベートーヴェンの最後の作品と等しい。/と言うジャン・リュック・ゴダールの言葉を載せている。もはや何を仰っているのか分かりかねますが。

ベートーヴェンの最後の作品って第九の事でしょうかね。友と喜びを分かち合おう、素晴らしい人生みたいな話だと思っていたけれど。

夫が、わたしは大臣になるよ、大臣夫人というものもいいものだろうと言うと、妻ゲアトルーズは、あなたはわたしを見ていない、何も見ていない、わたしのこころはあなたの許にはありません、ひとりでオペラに行きますわ。そして彼女は若き愛人/エアランの許に向かうのです。服を脱ぐゲアトルーズのシルエット。もはやこころだけではなくその身を横たえる場所も変わってしまった。が、エアランは友人たちに手柄話としてゲアトルーズの肉体と交情を言う。今度の獲物は・・・・・。

夫は、ゲアトルーズとの関係を修復しようとオペラハウスに迎えに行くが、案内人に今日は奥様はおいでではございません、とぴしゃりと言われてしまう。家に戻るも妻はいない。

かつての恋人/ガブリエルからエアランの自身に関する言動を聞いたゲアトルーズは、エアランとの別れを決意するのですが火照った肉体は治まりません。共に旅に出ましょう、と誘ってみますが婚約者のあるエアランにしてみれば、年増の彼女は都合のいい性のはけ口でしかありません。

茫然自失のゲアトルーズを見たガブリエルは、切実に縒りを戻したい旨訴えかけるのですが、嘗てあなたはわたしの愛から逃げたじゃありませんか、と取り合わず、毒にも薬にもならない友人アクセルにパリ行の手配を頼む。

ベートーヴェンの第九のような話じゃありません。物語からは狂気も美しさも感じ取ることは出来ません。然るにドライヤーの表現様式は屹立しており、孤独という毒の美しさと狂気に他者は近寄ることを許されず、静かに扉を閉じてしまうのです。人生は夢、くちびるもまた夢、と言い残して。

シアター・イメージフォーラム カール・テオドア・ドライヤー セレクションvol.2 にて
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