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ベニーズ・ビデオのtsukikoのネタバレレビュー・内容・結末

ベニーズ・ビデオ(1992年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

ビデオ撮影が趣味である少年・べニーが街で知り合った少女を衝動的に射殺、その後の親や本人の日常を描いた物語。

べニーズビデオはハネケ作品の中でもかなり好きな映画で、その理由は多分ベニーの言う「どんなもんかと思って」がなんとなく分かってしまうからか。

ベニーは始終、表情や言葉に感情をにじませない少年。かといって暴力的な人間でもない。やんわりと高圧的な父と主体性のない母に育てられ、冒頭のみに登場する姉は社交性が高く外向的な“良い子”。嫌味で自己保身しかない父親を見るに、生育過程で言葉を封殺されてきたんだろうなと感じさせる。

ベニーにとってビデオは他人とのコミュニティーケーションツール。撮る行為そのもので他人に甘えたり距離を縮めたりする。映像を見たり見せたりすることは、自分の内面を相手に見せるための手段。ハネケは物語の中で事象を異化するためにビデオを通していると説明し、現実の喪失感を描いたと説明していて、まさに今起こっていることがどこかベニーにとって他人事であることがよく分かる表現になっている。

青っぽい画面が感じさせる冷たさは、ベニーの常に沈静している感情そのもの。いつしか現実に対してぬるさすら感じなくなった彼の殺人は、豚の映像からでも見てとれるように唯一熱の通った現実だった。

蚊帳の外にいる鑑賞者とベニーの立ち位置はとても近い。関わりの有無という大きな違いがあるのにも関わらず。自分と関係ない誰かが起こした殺人を眺めている感覚。ベニーもそうであるけれど、その現実を掴めない感覚には彼なりに不快感(罪悪感ではない)があり、坊主にしてしまう。

だから親の判断も倫理的・道徳的にというわけではなく、完全に間違いで、ベニーとしても「いや、頼んでないし」という展開に。親はそれを愛だと錯覚してるけど、愛でもなんでもないからベニーには響かない。

まさに殺人してる最中の映像を親に見せたのは、「おまえらの子育ての結果だよ」っと言っているように感じた。

言葉で通じない相手には実力行使しかないと思いがちだけど、内容は置いておいて、こういう手段もあるんだなと感心してしまった。

DVD収録の監督インタビューも一緒に見てほしい。何が正しいとか答えがひとつでないことがよく分かる。

ラストは、撮影中の映像がブラウン管テレビに映し出されている前に真っ赤な文字のエンドロールが静かに流れていく。それ含め最高に良いのでぜひ。
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