アトミ

ベニーズ・ビデオのアトミのレビュー・感想・評価

ベニーズ・ビデオ(1992年製作の映画)
4.1
82点

ミヒャエル・ハネケの劇場第2作

映画はブタを屠殺する古いビデオ映像から始まる。
屠殺シーンが巻き戻され、スロー再生される。
屠殺する瞬間に降る雪。
これが「べニーズ・ビデオ」であるようだ。


べニーは姉が考え出したネズミ講のような資金集め(賭け事)を学校で行い、金儲けしている。
彼はその金でマクドやレンタルビデオを楽しんでいるようだ。
良い子とは言えそうにないね。
家族揃って朝食が取れない日常の様子もある。

ベニーが通うレンタルビデオショップのモニターをいつも眺めてる1人の少女を自宅に招く。
そしてあの「べニーズ・ビデオ」を観せる。
ベニーはそのビデオを撮影した時に盗んだブタの屠殺用の銃も自慢げに見せる。
そしてべニーは彼女を「屠殺」する。
部屋に設置してあるビデオカメラでその一部始終は録画していた。

彼は食事をし、宿題をし、淡々と「後片付け」をし、服を着替え友達と遊びに出かけ外泊する。
朝を迎え友達の家を後にし、姉を尋ねるが留守。
ベニーは何をする訳でもなく街をぶらつき時間を潰す。
夜になり、衝動的?に理髪店で坊主になる。

次の日、彼女を殺害したビデオ映像を両親に観せる。
父親は母親とベニーを旅行へ行かせ、その間に死体を処理し、事件を隠蔽する選択をする。

ベニーは旅行先でもビデオ撮影を欠かさない。
父に不安げに電話する母のシーン。
トイレで小便する母のシーン。
「映像に囚われてしまった人間はタブーでもなんでも収めずにはいられなくなる」とでも言いたそうだ。
自虐か?

とりあえず、母親とベニーが1週間の旅行から帰ってきた時には全てがリセットされているかのようだった。

がしかし、、、。


とオチはある種のどんでん返しではある。
「あんなシーン」までベニーは撮影していたのかと。
もう「映像依存」というかなんというか。
まぁ全ては「刺激」なんだけどね。
目から入る「刺激」。
その「脳内麻薬に依存している」というもので、今で言う所のネット依存やスマホ依存、SNS依存と同じ。

こういうものの「行為」に「計画性」なんてものは存在しない。
ただポチポチクリックするかの如し。

その結果に「殺人」という「ものがあった」がというだけの事である。

少年がどうとか、思春期、環境、育て方という「結論」というのは、実はただの「屁理屈」かもしれない。

まぁとりあえず、旅行先で急にベットで嗚咽し出す母。
これに対し、ベニーは何を感じているのがわかる。
嗚咽する母よりもベニーが手前だからね。
この辺りの描写は流石。
それからのラストに至るわけだから、実はどんでん返しというわけでも無くなる。


PS
冒頭の屠殺ビデオでほぼ人物像が理解出来てしまうので、後のストーリーが「確認作業的」になってしまうのがちょっと残念。

逆に「それだけで説明できてしまっている」のは流石なんだが。
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