SatoshiFujiwara

ベニーズ・ビデオのSatoshiFujiwaraのレビュー・感想・評価

ベニーズ・ビデオ(1992年製作の映画)
4.1
しつこくハネケ。

誰か付けたか知らないが、『セブンス・コンチネント』と『71フラグメンツ』、そしてこの『べニーズ・ビデオ』で「感情の氷河化三部作」とか言うらしい。言いたいことは分かるが少しダセえな。

それはそれとして、これもまた強烈である。いきなり豚の屠殺シーンが出て来て駄目な人はすでに駄目だろうが(しかしナイフで切り裂く系ではなくて銃を頭に撃ち込むヤツ)、主人公のベニーはビデオマニアで、両親が行ったこの豚の屠殺のビデオを撮影し、その後何度となく観ている。レンタルビデオ屋にも足繁く通いそこで定期的にビデオを借りているが、その店頭で流されている映画にしばしば見入っている女の子に話しかけ、彼女を自宅に招くことに成功する。何も暴行目的だとか何らかの下心があってのことではない。なんとなく、だ。

ビデオマニアのベニーは屋内の様子を撮影するためにこれまたなんとなくカメラを回しているが、他愛のない話の最中にふざけ合うシーンで意味もなくいきなり暴力的になる辺りからして既にベニーの危うい性向が顕在化する。その後が恐ろしく、両親が屠殺に使用した銃をなぜか持っているベニーは、女の子を実に何気なく、さり気なく撃つ。恐怖でわめく女の子にその後さらに2発撃ち、最後に絶命する。この一部始終は回しっ放しのビデオに全て記録されていた。

最初こそうろたえるものの、すぐに平静になって冷蔵庫からヨーグルトを出してしっかりと食べ終え、遺体を撮影して自ら裸になってその血を体に塗った後にビニールに包んでクローゼットに隠し、さらには友人から掛かってきた誘いの電話に応じてライヴに行くなど、今しがた人を殺した人間とは到底思えぬ振る舞いをするべニーを「離人症」の一言で片付けるには余りに恐ろしく禍々しい。そして、先に書いた射殺の一部始終が写ったビデオをこともあろうか両親に見せ、さらに驚吃することにその両親は最初こそうろたえていたがベニーを怒るでもなく、母親がべニーを海外旅行に連れ出している間に父親が女の子の死体を切り刻んでトイレに流すなどのやり方でこの殺人自体を隠蔽しようとするのだ。これらがいかにも感情移入させるようなサスペンスフルな演出で描かれている訳では全くなく、全てが淡々と演出されているのが逆におぞましく寒気がして来るのだ。ちなみに両親かべニーになぜそんなことをしでかしたのか聞くとべニーは答える、「どうかな、と思って」。

…こんな調子で書いていくとそれだけでこの映画及び登場人物の特異性が浮き彫りになるが、先の2作と同様にハネケは行為を解釈しようとしているのではなく、とある人物が観客には因果関係やら理由が計りかねる行為を行うさまを単に映し出している。むろんハネケにはハネケの考えや解釈はあるだろうが、それを映画に反映させることを自らに戒めている。

で後半。べニーと母親は旅行から帰って来ると、死体は綺麗さっぱり片付けられ、足もついていないようだ(尚、父親が死体を処理するさまは全く出て来ない)。このまま元の生活に戻れるかと思ったその矢先、当のべニーが警察に行き件のビデオを見せるのだ。これもまた罪の意識にかられた、などとはこれっぽっちも見えない。多分「どうかな、と思って」なんだろう。ラストシーン、取り調べが終わった後にべニーが呟く、「もう帰っていいですか?」。カミュの『異邦人』では、ムルソーは太陽が眩しかったから人を殺したが、べニーはそんなものすらない、なんとなく。

最初に記した「感情の氷河化三部作」、確かに。アパシーとは感情の石化または自己認識の欠如であり無関心であり想像力の欠如であり、ハネケはそれを複数の状況にある人間をまるで生体観察するように画面に定着させた。
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