デニロ

偽れる盛装のデニロのレビュー・感想・評価

偽れる盛装(1951年製作の映画)
4.0
1951年製作公開。脚本新藤兼人。監督吉村公三郎。

まず、京マチ子の妹役を張っている藤田泰子という女優を知らなかったので調べてみる。50年にデビューして53年には結婚引退。結婚した相手がキョードー東京の創立者。成程。

1951年製作ということなのだが戦争の痕跡があまり見られない作品。舞台が京都だからだろうか。唐突に登場する藤田泰子の東京の友人が言う。京都は戦火を免れて文化遺産は守られたけれど、古い街並みにまとわりついている因習はそのまま残ってしまった。その京都に思い悩む姉妹。京マチ子は線路の遮断機に遮られ京都に絡めとられ、京都から一歩踏み出す藤田泰子の前にある遮断機は開け放たれていく。そんな京都が主役のような作品。

京都の大店の主人で花街の芸妓のひとりも囲う。そんな映画作品を観る度に金だなあと思う。買い物するに財布を気にしない生活に憧れてしまう。本作のような背景の作品に必ず登場する金絡みの破綻者。本作では芸妓の気を引くために会社の金を使い込んでしまう破綻者菅井一郎がそれだが、飄々として付かず離れずで女と関係を保つ小料理屋の主人進藤英太郎みたいにありたいものだ。いいなあ。一歩間違うと殿山泰司のように金の切れ目が縁の切れ目で未練たらたらとなってしまう。カッコ悪いけど、屋台の親父になって見果てぬ夢を見るのもまた男の子なのです。地べたを這いずるのは女ばかりではありません。

という風に観ていたのだが。

ヴァンプ京マチ子が縦横無尽に語りまくり動きまくる。因習に絡めとられた母瀧花久子を反面教師としながらも、ああイライラすると思いながらも母の義理人情にお付き合いしてしまう。実は心根は深いのだ。

物語は終わったけれども、あの木偶の坊のような根性なし小林桂樹と東京に出奔した藤田泰子はしあわせになれる筈もないと思ってしまうのはわたしだけだろうか。あのラストは意地悪だ。やっぱりやり手の男東京キョードーに走るだろうな、と。

神保町シアター 大映の女優たち~大映80周年記念セレクション~ にて
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