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死んでいるのは誰?のhorahukiのレビュー・感想・評価

死んでいるのは誰?(1972年製作の映画)
4.3
死んでいるのは関係性…

目を離した隙に幼い娘が殺されてしまった主人公…😱娘と同じ赤髪の少女が去年にも同様の手口で殺害されていたことが判明!娘の無念を晴らすため、捜査にのめり込む主人公を描いたアルドラド製ジャーロ。不倫相手とこっそり致すために子どもから目を離す→殺されるとかクソ父親の鑑すぎて笑う…😭

実際にガチクソ野郎であることが全くセリフに頼らずに序盤から念入りに描かれていて、ほんとずっとムカムカ😡外面は良いし、娘ちゃんとも一応楽しく過ごすのだけど、全く娘ちゃんのこと考えてないのが滲み出まくってて辛い…😭女を見るな!娘を見ろ!

主人公は奥様&娘と別居中。娘がひとりで飛行機に乗って父親に会いにヴェネツィアに来るところから本編が始まるのだけど、娘ちゃんが乗ってる飛行機の侵入方向、そして降り立った美女を延々とトラッキングし続けるカメラ。その後に画面外から娘ちゃんを主人公が抱き上げるまで、娘ちゃんの存在は一切カメラには映らない。私も「え?娘ちゃんいたの?」ってなってハッとしたし、美女トラッキングも飛行機も主人公の主観ショットであったことが事後的に明らかになるというゾクゾクする出だし👍ほんとカス親父!

そんな感じで娘ちゃんは主人公にとって“負”の存在であること、娘ちゃんよりも自分の下半身に正直であることが、のちの娘ちゃん殺害シーンと呼応することに…。殺害に至るまでも、孤独にひとりで歩き回る娘ちゃんを幾度となく写し、絵画的な三角形の安定構図で交わされる主人公含めた大人たちの会話を娘ちゃんが乱入したり通り過ぎたりで崩す(=娘ちゃんによる孤独への抵抗)ということを何度か反復している。あと鏡にほとんど映らなかったり。ほんと娘ちゃんが可哀想だわ…😭

本作が面白いのは、心的・関係性的治療を全て代理によって行い最終的にそれを本人に帰属させるところ。下半身と孤独という2人の関係性を徹底的に植え付けつつ、娘ちゃんを母親(主人公の奥様)のペルソナ的な代理存在として念入りに(主にセリフで)印象付けていく。更にはベールを被った犯人についても同様に、主人公のペルソナ的な代理存在(“偽物”の父親(=偽〇〇))として描いている。そしてその代理によって夫婦関係を立て直すまでを単なるハッピーでドラマチックなクソ展開ではなく、物凄く複雑で病的な心理状態を突きつけるように描くという非常にジャーロ的な物語。

特に娘ちゃんに接近してくるベールの犯人と間一髪で助ける主人公が、娘ちゃんがいた地点を中心に何事もなく離れていくとこのシーソー具合。他の殺害対象も「代理の効果帰属」を妨げるための心的な抵抗にそってチョイスされているため、アルドラドのジャーロ感はアルジェントとかなり近い気がする。基本的に娘ちゃんの存在は過去と現在の代理(プロローグ含めて2人いる)であって、そこからの罪悪感起点で突き進むのとか超真っ当!そして待ち受けるのは霧と船とかうますぎるでしょ!

あと何と言ってもモリコーネの曲!映像的にもテンション上がりまくりな超良いところが沢山あったけど、雰囲気をガラッと塗り替え映画自体のイメージまで作ってしまう本作の曲はほんと良かった👍👍
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