井出

鏡の中にある如くの井出のネタバレレビュー・内容・結末

鏡の中にある如く(1961年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

窓がたくさんあって光を取り込んでいる
現実か夢か、とにかくその比率は終盤に向けて逆転していく。二階の部屋、難破した船、彼女は選ぶ運命だった。いままですがってきた、畏れ敬うべき神に心を奪われていった。その混乱のシーン、よりでカメラをたくさん動かし、カオス感は増す。
その神の実態を、父は愛であるという。悪いものも含め。息子はその告白に、心を隔てていた父から愛を感じた。
息子の劇は父へのあてつけでもあり、監督である自分を戒めている言葉でもある気がする。彼は生を選び、真の芸術家であることを諦めた。心の空白を補うように、父や息子、監督はものを書き、作る。娘は死を選んだのか。選びたくなるのも分かる、周りがこんなんじゃ。彼らの言葉にならない叫びをひきでカットを変えず、カメラも動かさないシーンはそのまま観る者に突きつけてくる。その臨場感、すごすぎる。
詩や水、牛乳の使い方にはタルコフスキーへの影響、セリフのかけあいにはウディアレンへの影響がなんとなく見て取れる、水の上で素直になるという使い方はよすぎる、ゴダールもなのか。
音楽はまさに悲劇的な場面で流れる。
姉弟の歪んだ愛は最初からじわじわ匂わせてくるあたり、巧みすぎる。
愛が人を傷つけるという、野いちごでも出たベルイマンの愛に対する思想はなんとなく共感できる。
なぜ難破した船が急に出てきたのか、弟はなぜエロ本を見せ、恥ずかしげもなく好みの女を指差し、柔らかそうだからと結構なカミングアウトをさらっとしてしまうのか、疑問はある
見なきゃいいのに、聞かなきゃいいのに、言わなきゃいいのにっていうシーンが多い、災いのもと、素直であるほど不幸、この家族も…
カメラの技法とか家のなかとかの構図もすごいな
演技もすごい、マックスフォンシドーと父親の女の触り方が優しすぎる。
この脚本もスケールすごすぎ
鏡?
井出

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