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『鏡の中にある如く』に投稿された感想・評価

kuu

kuuの感想・評価

3.8
『鏡の中にある如く』
原題 Sasom i en Spegel.
英題 through a glass darkly.
製作年 1961年。上映時間 89分。
スウェーデンの巨匠イングマール・ベルイマン(発音は正しくはベーリマンに近い)が信仰と欲望の問題をテーマに描いた
『神の沈黙』3部作の第1作。
孤島の別荘を舞台に、それぞれ問題を抱える4人家族の葛藤を描き、第34回アカデミー賞で外国語映画賞を受賞した。
余談ながら、ヘレン・マクロイ(米国女性推理作家)の作品にも同じタイトル小説があったが、あちらはドッペルゲンガーを扱った推理小説やった故に今作品とは同タイトルながらお話は違った。
それに今作品は初観やと思たら以前見てましたが再視聴。

作家のダビッドは、17歳の息子ミーナスや娘のカリン、カリンの夫で医師のマーチンと一緒に、人里離れた孤島の別荘でひと夏を過ごすことに。
精神的に不安定なカリンを心配するダビッドは、彼女の病状について日記に記録する。
しかし偶然にもその日記を読んだカリンは、さらに心のバランスを崩してしまう。。。

この映画のタイトルは、聖書からとったものだそうだ。
『わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。』
   コリント人への第一の手紙 13:12より。
今作品は、映画の精彩を放つ作品であり、ベルイマンの代表作であると云える。
ベルイマンの作品群を見ると、彼はおそらく芸術性のピークに近づいており、それは次作『冬の光』(63)、『沈黙』(63)辺りで達成され、ベルイマン自身が完璧と称した作品でなんやろな。
小生を含め日本人の多くが(勝手な決めつけ🙇)、この壮大な『人間・神三部作』或いは『沈黙三部作』なんかしっくりこないなぁ、『闇・信仰三部作』が神の存在という神学的問題を扱っているからかもしれな。
友との沈黙の会話に出てきた今作品をじっくりと鑑賞して考えてみた。
実際、考える人のための映画とも云えなくはない。
この3作品は、数十年後に大監督に影響を与えた宝物であり、特にクシシュトフ・キェシロフスキ監督『トリコロール』三部作
トリコロール/青の愛(1993)
トリコロール/白の愛(1994)
トリコロール/赤の愛(1994)
を撮りコリントの信徒への手紙一章13節をほぼ忠実に再現した。
この映画から洗礼の雨のようなアイデアを借りてアンドレイ・タルコフスキー監督は、
『惑星ソラリス』(1972年)
『ストーカー』(1979年)
などに多少拝借したと思われる。
そしてロシアのアンドレイ・ズビャギンツェフ監督、こちらもイングリッド・ベルグマンス的息子・父親関係を少しはパクった感は否めない。
これらの作品はすべて、このバーグマンのこの独創的な作品の影響を受けているとも云える(勝手にこじつけ感はありますし各々の監督のファンのかたご容赦を🙇)。

今作品は、スピリチュアルなモノに関心のない方にとっては、カリン(ハリエット・アンダーソン演じる)が、病院で余生を送るために家から出るときにサングラスをつけることの拘りは当たり前の行動に還元されるかもしれない。
今作品は、統合失調症(旧・精神病、精神分裂病)の研究であり、神は存在しないちゅう説に信憑性を与える映画であると簡単に解釈することができる。
神と交信している、若しくは神機妙算を感じながら、ある時は闇の力(声)の奴隷になっている人々の映画と同じように解釈することができる。
一方、光の強さは、神が存在することを示すメタファーであるとも云える。
これは、司祭の息子であったベルイマン監督が、実生活で悩んだ基本的な疑問なんかもしれない。幼いミーナスも、突然降ってきた雨(洗礼?)にひざまずいて神に祈る。
島に雨が降った形跡がないこと、またその直後にオープンボートの男たちが雨に濡れた形跡がないことに気づくはず。
カリンの髪だけが濡れている。
神が存在するという答えを、沈黙し、『不可解』な神に求め、何百万もの人々が祈る。
今作品は、ほとんど静止した暗い海の水が空を映すショットで始まる。
光についてのいくつかの言及で終わっている。
皮肉なことに、バーグマンは幻滅し、神は "蜘蛛 "だと感じていたのか。
これは、映画の終盤でカリンが暴れ出したことに関連している。
もしバーグマンが本当に幻滅していたんなら、最後のエピローグで父親が息子に
『神は愛の中に存在する、あらゆる愛の中に、もしかしたら神とは愛かもしれない』
ちゅう言を付け加えなかっただろうか。
この最後の言葉によって、息子は父が『私に語りかけた』と云う。
最後の言葉は、十字架上のイエスでさえ死ぬ前に望んだ霊的な応答『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』やったかな意味は『神よ、神よ、何故に我を見捨てたもうや』のように見えなくはない。
しかし、今作品を、単に神の存在に対する答えを求める映画として見るのも"良し"だが、愛についての映画とも見れる。
無神論者の夫(ベルイマンの影響か)の、病める妻への純粋な愛がある(なお、この映画は、離婚が迫っていたベルイマンの妻ケビ・ラレテイに捧げられている)。
自殺未遂をきっかけとした娘、息子、婿に対する父親の愛(映画の中でだけ回想される)。
姉弟の愛もある。
また、結婚についても描いている。
夫(カメラは何度も指にはめた結婚指輪をとらえる)と妻(顔を洗った後にはめる)のシーンで、視覚的に結婚指輪が強調される。
息子は、2番目の妻マリアンヌ(画面には映らない)と離婚したばかりの父に、『精神的に安定を失ったのか』と無邪気に尋ねる。
バーグマンは構造的にシェイクスピアに敬意を表し、『ハムレット』の一幕劇を映画の中に入れ、父親とその完璧な芸術作品への愛の幻想が、親しい人への愛を奪うという点を強調する。
いろんな意味で、やっぱ、これは考える人の映画と云えるし、考え方は十人十色。
この多作で繊細な映画作家に畏敬の念を抱く。
彼が映画のために書いたものは、トルストイやシェークスピアのような偉大な作家の作品と比較することができるんちゃうかな。
父親が信じ、ベルイマン監督も信じて育った沈黙の神からの応答を求めるベルイマン個人の探求心の現れ的。
無神論者の映画ではなく、『神とたわむれる』天才の映画なのやとなんかで云ってた。
余談ながら今作品を撮った後、ベルイマン監督はラストシーンに違和感を覚えたという。
バーグマンの中の疑り深い心が浮上したんかな。
しかし、彼はこの映画で手直しをすることはなかった。
写真、美術、演技、脚本、編集、音響(バッハと灯台のクラクション)など、この映画は映画を学ぶ者にとって多くのものを与えてくれるはず。
ベルイマンの最高傑作のひとつであることは間違いなく、ベルイマンが次に脚本と監督を手がけた作品『冬の光』はタイミングあったとき是非再視聴したい。


裏・感想
駄文が動き出すと止められない質で、これより、完璧ネタバレモードでつらつらと書き進めますので、お読みの際は十二分にご注意のほどを🙇。

今作品の出演キャラは4人やし、それらから読み解くのは難しい作品ですが、家族を書いて見てみると、少しはカリンの病の原因の2、3はうかがえる。
小説家である家長のダビッドは、これから出版する本のテーマが決まらず、また、詩人を目指しているが、本が売れているにもかかわらず、その目標に到達できないでいる。
しかし、彼は『不滅』を求めてるし、そんなことはどうでもいい。
その結果、彼は今、『作家の壁』に悩まされてる。
この夏、彼は家族と一緒に過ごさなければならない。
何故なら、彼はいつも世界を飛び回っている父親だから。
彼の不在は、娘や息子だけでなく、ある意味、マーチンにも影響を及ぼし、彼は自分の問題を相談できる大人の男性を失ってしまう。
マーチンは医者で、カリンの病気は不治の病であることを知らされたが、それでも妻のそばにいたい、愛している、少なくともそう云ってる。
しかし、それでも彼は妻を愛し、一緒にいたいと矛盾して思っている。
しかし、二人の愛とセックスは存在しない。
もちろん、それは彼女の病気のせいでもあるが、薬物療法とその二つの事実が生み出す精神状態のせいでもあると云える。
加えてマーチンはとてもストイックだ。
ミーナスはティーンエイジャーとして自分のセクシュアリティをどんどん発見していき、彼と姉カリンの間の明らかな近親相姦的感情がすぐに明らかになり、二人の間に『怒り』の状態を作り出す。
あるシーンでは、ミーナスが『女たちは偽りの、魅惑的な生き物で、男を網にかけ、そして辱めるのだ』と不満を漏らす。
姉が自分を小さな子供として扱い、ほとんど一緒にキャーキャー云うのに、彼の怒りと不満はおさまらない。
カリンに至っては、家族が装っているような良い状態には全くなっていない。
夫との肉体関係には興味がなく、弟に興奮しがちで、何事にも集中できず、父親との関係もうまくいっていない(この場合、彼女より父親の方が責められるべきだろうが)。
同時に、マーチンと彼女の間にも、ミーナスと彼女の間と同じパターンが見られる。
つまり、マーティンは彼女を大人の女性や妻というよりも、小さな女の子、ほとんど娘のように扱う。
しかし、その過程で、個人と個人の関係における重要な発見がなされる。
ダビッドはマーチンから、自分が感情的に対娘・対息子を拒絶していること、彼女の精神状態や世の中から見捨てられ孤独を感じているのはある程度自分のせいであることを率直に告げられる。
さらにマーチンはダビッドに、最後の日記を見つけたことを告げる。
そこにはカリンの不治の病について書かれているほかに、彼女の病気を自分の次の小説の材料にしたいとも明かしています。
ライナスの女性に対する苛立ちの原因は、このあたりにあるのかもしれない。
マーチンは、カリンへの愛と彼女の健康状態を知ることで、妻が何ヶ月も、あるいは何年も入院している姿を想像しながら戦っている。
人は良くも悪くも、死が二人を分かつまで愛し合わなければならないが、もしそれが悪くなるだけなら?
カリンが、家の中の一室で壁越しに誰かが話しかけていて、その声は神のものだと確信するところから、新しい展開が始まる。
マーチンは、彼女が神の声を聞こうとし、話そうとしているところを発見し、彼女を説得しようとする。
同時に、ダビッドも同じことを発見するが、感情的になっていて、彼女の病気のさまざまな表現に反応することができないため、介入していない。
最後に『神』に出会うが、それはカリンが予期していた神とはまったく違っていた。
同じ頃、カリンはダビッドの日記を見つけ、そこには彼女の精神分裂病と、医師が云った『彼女は末期でかなり悪い』ちゅう言葉が綴られていた。彼は、娘の精神状態を利用して本を書きたいと言い出し、これはもちろんカリンにとって最もショッキングなことであった。
ミーナスが性に目覚め、カリンが弟との性行為に抵抗できなくなり、二人の欲求不満は解消されたが、カリンはさらに『精神障害』へと陥ってしまう。
ついに彼女は再び病院に運ばれる。
最後に、ダビッドとミーナスの会話を見ることができ、ミーナスはこう云って終わる。
『父さんが僕に話しかけたんだ』と。
以上のように、人間関係については多くの疑問が生じるが、答えは少ないかもしれない。
人間関係がどのように悪化し、どのように修復されるんか、愛と愛の持続について、あらゆる種類の愛が善であり、神からのものであるという考えについて、近親相姦であっても(ミーナスが姉との性的関係を暴露した後のダビッドとの会話)、我々の自己イメージについて、それが試されると簡単にひっくり返ること、我々の道徳基準とその妥当性、神について、神がこれらの中で果たす役割とは何か、などなど。
また、4人のキャラのうち、感情的に最も普通なんは誰か、自問することもできる。
カリンは、夫に対する性的な感情が断ち切られているが、個人的きは、彼女は薬のせいで多少麻痺しているものの、3人の男性の誰よりも感情豊かで繊細な女性やと思う。
ダビッドは、この3人の中で最も感情的に冷たい人物で、誰とも、自分自身とも関わりを持たないらしい。
マーチンは感情的で敏感な人なのか、それとも理性的な医者で、セックスは必要だが妻に対してより深い感情を抱いていないのんか。
最後に、性的欲求不満のティーンエイジャー、ミーナス。
同時に彼は、おそらく他の人たちよりも、知的かつ感情的なレベルで姉と関わることができる人物であるように思える。
問題は、それが良いことなのか悪いことなのか、ということ。
字面にしてみたら比較的、カリンの病の原因は分かりやすいし、きっと治療の手がかりとなりダビッド一家は幸せに暮らすことを願うかな。
茶一郎

4.7
 エンパイア誌による「史上最高の3部作33」ではモノクロ映画として唯一ランクインしていた映画史上、最も重要な三部作の一つ、ベルイマンの「神の沈黙三部作」。その一作目であるこの『鏡の中にある如く』は飛び抜けて美しく、そして怖ろしい。何より数珠つなぎのようにテーマとモチーフが連続しているベルイマン作品・ベルイマンユニバースを紐解く一作としても肝要な作品です。 

 つまるところ「神の沈黙三部作」とは、敬虔なキリスト教の神父であるベルイマンの父親に対するベルイマン自身のトラウマを、映画を通じて治療していくという「だから俺はオヤジが嫌いなんだ三部作」だと言い切ってしまいます。
 三部作の前の作品にあたる『第七の封印』と『処女の泉』においても、キリスト教(神)を信じたあまり酷い目にあった登場人物を描き、神(ベルイマン作品においては「神」イコール)オヤジへの強い批判を感じさせましたが、「神の沈黙三部作」ではより父親・家族単位に特化した物語設定を用意し、鋭く「神の不在」と名ばかりの「オヤジのダメさ」を嘆いていきます。

 本作『鏡の中にある如く』の物語もやはり一つの「家族」の物語で、孤島で暮らす作家の父、思春期の息子、娘であり精神病を抱えているカリーン、そのカリーンの夫である医師、4人の生活、そこから生じる心理のすれ違いを映していくだけの極限までに無駄が排除されたものです。
 すでに冒頭から家族に対する愛を失っており、家族から嫌味を言われる始末の「神」についての物書きである父親(ベルイマン作品においてダメ宗教野郎を演じるのは、いつもグンナール・ビョルンストランド)はベルイマンのオヤジそのものであり、そのオヤジから抑圧的な仕打ちを受けている娘は、ベルイマンの父親が虐待をしていたというベルイマンの母親の名前と同じカリーン。『鏡の中にある如く』は美しい大自然を背景にした、オヤジのダメっぷりとカリーンの精神崩壊、そこから家族が少しずつ崩壊していく地獄の様を見せつけられるのです。
 
 『野いちご』同様、次第にオヤジの悪い部分と、ベルイマン自身の映画作家としての悪い部分が融合して本作の父親が出来上がっているという点が何とも皮肉で興味深い点ですが、結果として生じたカリーンの崩壊はオヤジのせいというより、カリーンが「神」を信じていたばかりに起きてしまったものと言えます。
 カリーンが神を待ちわびて、実際に目にしたものは「神」という名の「悪魔」であり、その悪魔は蜘蛛の姿をしていました。このシーンが前後のベルイマン作品における「神」の正体を明かし、「蜘蛛」のイメージは後の『仮面/ペルソナ』はおろか、他監督の作品である『複製された男』においても「神的な権力のある人物」の喩えとして登場しています。
 
 広大な自然に突如、現れる無機物・ヘリコプターの怖さと美しさ。神が人を助けないと分かった父親は「愛」は「神」のようなものだと息子に言い聞かせ、悲劇の中で息子と父親が分かり合い幕を閉じます。
 ベルイマンユニバースにおいて「神」は「悪魔」であり、「愛」である。その事を決定付けた一本として本作『鏡の中にある如く』は重要作であり、私にとってのベルイマンは「愛」の尊さを教えてくれる偉大な映画作家です。
ちろる

ちろるの感想・評価

4.2
芸術の亡霊に取り憑かれたベルイマン自身の自己肯定作品。だからこそ面白い。

ベルイマンは自分の監督した作品の女優に手をつけては孕ませ、また新しい女優に出会ったらまた孕ませを繰り返し生涯5回?ほど再婚してるみたいなんだけど、その中の1人を精神病にしちゃったらしいです。
(ちなみにこのベルイマン作品によく出るカーリンという名前はベルイマンの母親の名前ですが、母親も父の暴力で精神を病んでた時期もあるので、いろいろとこの作品は自分の生い立ち重ねてる作品でもあります。)
おそらくこの作品で統合失調症を患った娘カーリンのモデルは奥さんで、そんな娘を小説のネタにしようとした鬼畜な父親ダヴィッドはベルイマン自身なのでしょう。

「あなたには感情もない。人並みの節度もない。」
とカーリンの夫が義父に投げかける言葉も本当はベルイマン自身が誰かに投げかけられたのかもしれない。
人間としての倫理観を葬ったとしても、外側にアウトプットしたい欲望の方が上に立つ芸術家の貪欲さをこんな形でそれらしく正当化するように描かれても、やっぱりこの作品を作ってアカデミー賞受賞しちゃうベルイマンは人間としては✖︎
ただ、芸術家ってそれくらいクズでないとだめなんだとも同時に思う。
ちなみにこちらの作品もほかの作品と同じく「神の不在」を描いているのだけど、病状が悪化するほどに神に心酔するカーリンの姿は闇そのものであり、神に導かれたといって弟を抱きしめる船のシーンとその外側で響く汽笛の音は不気味で、そのカーリンが神に取り込まれる悲惨な姿はまるで神の存在を嘲笑うようにも感じてしまう。

神とは愛であると、なんとなしに上手くまとめようとしているのだけど結局はこの「鏡の中にある如く」、鏡のように自己投影させてなんとか吐き出したものなのかもしれませんね。

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