アニマル泉

たぶん悪魔がのアニマル泉のレビュー・感想・評価

たぶん悪魔が(1977年製作の映画)
5.0
ブレッソンの前にブレッソンなし、
ブレッソンのあとにブレッソンなし。
本作は自由奔放、ブレッソン節が炸裂した巨匠の円熟期の至芸だ。ブレッソンは「部分の作家」である。顔を撮らない、足や胴体を切り取る、そして足と背中を好む。ロングショットを撮らない、狭いアングルで切り取る、階段やエレベーター、特に扉の開閉や鍵の閉め開けを律儀に撮る。独特だ。その結果、人間関係や場所が判りにくい、5W1Hが判然としない。本作も前半の運びや人間関係が判りにくい。
いかにもブレッソンらしいのがバスの事故の場面だ。何が起きたのか?判然としないままに開いたバスの昇降口から運転手が出て空ショットのまま、オフでのやり取りが聞こえるだけだ。この置き去りには唖然となる。特異である。
ブレッソンといえば「手」だ。本作でも万引き、ポケットの銃に手を伸ばす、などブレッソンらしい「手」のアップが頻出する。ブレッソンは若者の非行や罪を描く。本作は賽銭泥棒だ。
トップカットは川を航行する船だ。本作では地下鉄、バスが印象的である。「川」や「乗り物」もブレッソンの重要な主題だ。
教会の無人の椅子の空ショット、そこに若者たちがインして座り込むショットはいかにもブレッソンらしい。そこへ修理中のパイプオルガンの音が断続的に響く。
「風呂」もブレッソンは好きだ。
ブレッソンは背中を偏愛する。バックショットが多い。地下鉄のホーム、走り去る電車傍を歩いていくシャルル(アントワーヌ・モリエ)とミッシェル(アンリ・ド・モーブラン)2人のバックショットが美しい。
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