味覚ってなんだろうと思う。
それぞれ育った土壌の上に確立し、DNAに刻み込まれた嗜好であって、それ以上では無いのではないか?
日本人が味噌や醤油から逃れられない様に、アメリカ人もケチャップやマスタードから逃れられない。
それだけな気もする。
イタリア人もローマントマトとニンニクとオリーブオイルがあれば、ご機嫌なんじゃないだろうか?
だからAuthentic cuisineとは、地元のクセや特徴を色濃く顕す料理で、最大公約数的に新しい土地に根ざしたものでは無い。
日本食が欧米で受け入れられているとは言っても、アレンジ寿司や居酒屋バーやラーメンに限った事で、粉物や納豆、サバ味噌や梅干し、うどん/そばなどには見向きもされない。
それがAuthenticの宿命だろう。
客の立場で考えれば、レストランに求めるものはSomething newであって、Authenticでは無い。
つまりイタリア風や日本風なのだ。
だからパスカルは成功者でプリモはそうでは無かった。
セコンドが易々とパスカルの女には手を出すのに、フィリスとの結婚には踏み切れないのもわかる気がする。
何者でも無い自分が好きな女と身を固める事で、方向性が定まる事に恐怖したからだろう。
でもうん、ラストシーンがあれなら、きっと大丈夫。