河

モンソーのパン屋の女の子の河のレビュー・感想・評価

モンソーのパン屋の女の子(1963年製作の映画)
4.0
いつもすれ違う女性への執着、急にいなくなったその女性を探すために新しくできるルーティン、それによって見つかったパン屋の女の子への執着。そして同じ日にその二人への執着が叶えられることによって、主人公はどちらかを選ぶことを迫られる。

日常生活に見出されていく偏執の対象、そしてその偏執によって変わる行動と日常生活、そしてその日常生活の変化によって新しく偏執対象が見出され、それによってまた日常生活に変化が起こる。
その無意識的な変化の流れがまず先にあって、それに対して正当化するように理性による理由づけ行われ、それがナレーションとしてつけられていく。

そう思うと途中までは『ベレニス』とほとんど同じ話のように感じる。ただ、屋敷から出られない『ベレニス』の主人公に対して、ここでの主人公は冒頭で示される複数箇所を回り続ける。

それによって、執着の対象が段々と狭くなっていく『ベレニス』とは違い、執着の対象が移り変わっていく。そのため、どちらを選ぶかの選択が主人公に迫られる。

その選択によって、街の決められた場所を操られたようにぐるぐる回り続ける主人公の日常生活に新たな変化がもたらされる。無意識に支配された変化の繰り返しからは抜けられないながらも、意識的な選択によってその主人公の辿る未来にバリエーションが付与されるような感覚がある。

永遠に操られたようにぐるぐる回っていくような感覚の中で、そこから抜け出せたような瞬間があり、その選択がそもそも天気などの外部環境によって決められたような感覚があり、さらにまたパン屋へと回帰することで結局はそこから抜け出せていないような感覚がある。
このナレーションと主人公の動きによる迷宮感の中に、一瞬そこから抜け出せたような美しさ、そしてそれが結局は幻想だったような感覚があるのが好きだった。
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