ニューランド

ナースコールのニューランドのレビュー・感想・評価

ナースコール(1993年製作の映画)
3.7
 同世代なのに、また少しは観てるのに、長崎との接点は殆どなかったのは、前に書いたとおりだ。高名な名前はずっと気になってて初上映時ではなく、数年か経ってからだったが、『闇打つ心臓』もワクワク期待して観に行ったものだ。思えば勝手に強面の作家と思い込み、意外に端正な作風に肩透かしを食らい続けて来たのか。今回、この作品にはすっかり魅了された。時間制限のある映画は、結果の重さ強調や、逐次アクション·リアクションのメリハリを入れなくてはならない。人生でも結果が求められるが、それは終点ではなく、実は経過の途中でしかないし、他人の心には残らなくとも、当人に蓄積されていくのはそれで、結果が出せなかった言い訳でも何でもなくて、それこそがその人の身体の中身の実体であり、その優しい世界とのおずおずとした係わりは、他者にも気付かず伝播していってるものだ。
 「看護婦(看護師)は辞める事は出来るが、患者は自分勝手に辞める事なんて出来ない」「私には手足もあり、目も見える。想像は出来るが、(貴方が望み叶えられなかったと失望した)患者の本当の気持ちなんて分からない。助力の形を示し求めて貰わないと、分からない。合体協力ないと動けない」
 ナースステーションへの(当時は看護婦とまだ呼んでたんだ。21Cならいざ知らず、ラストのタイトルだと1992年作だから当然か)ナースコール対応、手術補助、対応患者への計画と実践、患者や医師や同僚·婦長らとのコミュニケーション、患者の移送や環境整備、らに従事の看護師の仕事·日常を、勤務6年目27歳の、張り切ったり纏めたりには敢えて乗り出さない、いつ辞めてももどこかに秘めてる(で結構患者や同僚から好かれてる)主人公を巡る人間群像として描く。
 病室の火災·スプリンクラー放水や、クリスマスで蝋燭持ち·担当患者へのカードを持った看護師らの棟内照明落としての巡礼廻り、病院サッカーチームの試合後の腫瘍患者のゴール向かいと試合形式参加の医師らのフォローら、美しいナチュラルなスペクタクル的図らもあるが、あくまであっさり構えぬも効果備えた確実を際立たせないメインタッチ。いつしか対象に少しずつ寄ったりズーム、動きのフォローや状態への廻り込み、事故らへの全·細部·天井迄立体押さえ、角度変と人らの動きの速度と巧みさの何気も巧みなリンク、繰返しキャラの持ち味とメイン場面への絡み方、仰俯瞰めの適切対応、ら気張ってる所見せずも長崎のタッチは内側から描写を柔らかく効果的に支え続けてる。
 大学でプロサッカーを見据えてる有望選手の単純骨折から、骨肉腫=癌が発見され、命の脚は人工関節か切断かの選択の検査·リハビリで困惑·苛立ちが煮え立ち続けるへ、綿密な計画·バックアップを築くも·感情欠如を患者から指摘·距離を置かれてしまう後輩看護師、彼女のような周到さはなくも·珍しくやる気を·フランクな感情の発散·親密な熱で示したヒロイン、の2人の顛末がメインエピソード。ヒロインの方がすっかり気に入られて、後輩は仕事を辞めるを決め、ヒロインも新米医師との結婚話が話題になり·患者が好意から見棄てられたと自棄になって火災騒ぎを起こし、自信を失い退職意向を、後輩が出して間無しに出す。そこから病院の医師や退院患者らのサッカーイベントで、思わぬ気持ちが吐露·行き交い、刺激·暖められ、それぞれが再起か、元々の姿勢に戻る。
 まぁ、よく知らないが個人的長崎の最良作は、スピルバーグやノーランら最も華々しい連中の最高作の力に匹敵する、充実の内面が飽くまでさり気なさの形である。
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