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土曜日正午に襲えの堊のレビュー・感想・評価

土曜日正午に襲え(1953年製作の映画)
3.5
初アンドレドトス。マンのセミドキュメンタリータッチ的な方面をバッキバキに決めたショットと長回し(ルイスっぽい)でやっている。そこまでルイスみたいにべつに画面が何かでボカされたり障害物が置かれたりはしていないけれど、左右対称な画面とか、冒頭のガソリンスタンドでカメラの前に大きく塞がるピントの合ってない背中とか、あまりにもイマっぽい古臭くない画面が見れて、ノワールからキューブリックへみたいな話、そりゃしたくなるよね。
たとえば別の部屋で鳴った電話によって会話が中断され、別の部屋に行き電話を下すとすぐ後ろには別の誰かが立っている。さらに電話相手のカットに飛んで、その相手はまた別の運転中の誰かに無線で連絡する。さらに車は街に指名手配になった犯人の名前を呼びかけ、それを聞いた犯人たちは闇に潜む。よくある表現なのだけどそうしたメディアによる包囲網をノワール的なアクションの語りに組み込むことをここまで徹底してる映画もあんまない気がする(まだ全然ノワール見れてないけど)。そしてシネフィルがピンク映画観まくる理由もわかった。逆にいまスマホを携帯することによって映画が撮れないことが改めて実感させられたし、また別の方面へ進化する(常に見れる状態のLINEを見る/見ないへ、スプリットスクリーン的な方面へ…)ことも面白い。黒沢清の近作は本当にそのことのに自覚的な気がする。スマホを常に持っていて「接続」されっぱなしの中でどのように断絶とか孤独を描くか、というか…。
白眉は通報するおっさんの家に忍び込んで襲うシーンで演劇的に平面で異様な部屋をカメラで映してから、首を絞めた瞬間に倒れた灯りがクロスできらめくところだと思う。
撮影は『駅馬車』のバート・グレノン。この年だけでアンドレドトス4本撮ってるのウケる。

カウボーイビバップでしか見たことなかったようなガン曲がったタバコを出して吸うスターリング・ヘイドンのラストを観てたらやっぱり『現金に手を出すな』観たくなった。
堊