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少年のnetfilmsのレビュー・感想・評価

少年(1983年製作の映画)
4.4
 1960年代、台湾北部の街・淡水。未婚の母シウインは5歳の息子アジャの将来を思い、年の離れた外省人の公務員ビー・ターシュンと見合いし結婚。ターシュンはアジャを実の息子のようにかわいがった。やがてシウインとターシュンは男の子を2人授かる。元々やんちゃだったアジャは中学に上がる頃には悪友たちとともに連日問題を起こす不良になっていた。どんなにひどいいたずらをしてもターシュンはアジャのことを庇ったが、ある日アジャの不注意から弟を命の危機にさらし、さらに追い打ちをかけるように喧嘩騒ぎを起こしてしまい、ついにターシュンを怒らせる。ホウ・シャオシェンがチュウ・ティエンウェンと共同で脚本を書き、リー・ピンビンが出て来るまでホウ・シャオシェン作品の撮影を担当したチェン・クンホウが監督を務めた今作は、長らく台湾ニューシネマを代表する傑作とされながら、残念ながら我々は40年を経ても観ることが出来なかった。それだけ幻の作品だった。エドワード・ヤンの傑作『牯嶺街少年殺人事件』を観ることが出来た今となっても私は今作を心から観たいと思っていたし、それが今回の新宿ケイズシネマさんの台湾巨匠傑作選で初お披露目とあって観て来たのだが、本当に素晴らしかった。あまりにも素晴らし過ぎてため息が出た。

 かつて桃園で既婚男性との間にアジャを身籠ったシウインには最初から選択肢など無かった。無口だった母親は無理してホステスとして働きながら、5歳になるまで息子を懸命に育てたのだが、そのあらましは今作には描かれていない。ホステス時代の仲間の声として出て来るだけだ。見合いの席に登場したターシュンは単なるスケベ親父にしか見えず、母子の行く末は地獄にしか見えないもののジャンボ鶴田似のこの男の愛情は母親を欲望のはけ口にしないばかりか、ビー・ターシュンはアジャをシャオビーと言って可愛がり、養子に迎え入れる。ターシュンは殆ど理想的な放任主義で、通知表に担任から「傲慢不遜」などと書かれてしまうシャオビーを決して詰ることなく、受け止めようとする。再婚相手の経済的豊かさに負い目を感じつつも、家事に育児に黙々と働くシウインの慎ましさがシャオビーにとっては気に障るのか何なのかはわからぬが、その辺りの家族の歪みが思春期特有の反抗期と重なり、ほんの些細なボタンの掛け違えが、残酷なまでに運命を変えてしまう。シャオビーはもしかしたら寡黙なシウインの気を引きたかったのかもしれないし、本音で母親と応答したかったのかもしれない。然しながら身分違いの恋に引け目を感じた主人公の母親は一切の本音をひた隠しにしたまま黙々と家事に励み、息子の将来に一縷の望みを抱く。その姿に私はシャンタル・アケルマンの『ジャンヌ・ディエルマン』を重ねてしまう。それゆえにクライマックスの残酷な描写には思わず涙腺が緩む。ホウ・シャオシェン以上に強固なメロドラマの作家であるチェン・クンホウの作品だが、今作の完成度の高さが逆にホウ・シャオシェンがミニマムに作風を削ぎ落とすきっかけとなったかもしれない。40年ずっとスクリーンで観たかった傑作が新宿ケイズシネマのスクリーンで観られて心の底から感動してしまった。
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