明石です

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)の明石ですのレビュー・感想・評価

5.0
チェゲバラに憧れ、毛沢東を理想とし、美辞麗句と集団リンチを「革命」だと勘違いし、組織を統制するために山の中で仲間を惨殺しつづける異常集団と化してしまったいわゆる「革命戦士」たちの行く末を190分というモンスター級の尺でじっくりと描いた実録映画。

まず、これは病人のお話ですね。自分でも意味のわかっていないサイズの大きな言葉をしたり顔でブン回し、暴力を正当化する病(彼らのいうところの革命)に取り憑かれた人々。いわゆる「革命」に参加してしまった左派の人たちが、山の上で「指導者」に「総括」させられ「処刑」され、残った人たちは「殲滅戦」に邁進させられる。これほど胸糞の悪くなる実話はそうそうないと思う。行為そのものに対してというより、この人たちの痛ましい自己正当化の過程が見てられない。また、彼らはどの時点でこれが「革命」だと勘違いしていたのか、そういう”そもそも”の時点から考えさせられる。「⚪︎⚪︎への総括要求は、自己批判を外在化する形で行われた!(指導者の言葉)」こんなワケの分からないことをドヤ顔でのたまわれる人間が病人でないなんて!思想というよりは宗教、という言い方は宗教に対して失礼。これはビョーキですね。

「本日、総括を要求されていた尾崎が死亡した。彼の死は、自らを共産主義化しえなかった敗北死である。我々の命懸けの共産主義化、つまり党建設の闘いに最終的に勝利できず、自ら死という敗北を招いたのだ。彼を死に至らしめたのは我々ではない。彼自身、その主体において敗北主義を総括できなかったがゆえに、死という結果を招いたのだ。我々は、彼の敗北を乗り越え、さらに前進する決意を新たにしなければならない!(同志を処刑したあとの指導者の言葉)」これをビョーキと言わずになんという!!しかも、左派の革命運動の初期段階で逃亡し、活動が盛り上がったあとで戻ってきた男が指導者になって、総括総括と吠え、「同志」を処刑しまくってるこの深すぎる闇ときたら。

「実践的総括」とか「自己批判」とか「殲滅戦時代の対権力関係」「革命的方法論」とか、こんな分かったようで分からない大きな言葉ばっか使ってたんじゃ、革命なんて無理だよなあとつくづく思う(というか革命以前に、それじゃ何ひとつなせないと思うのは私だけでしょうか)。実際的で地に足のついた言葉がいかに大切か。猟銃をジャラジャラさせてエラそうな言葉を振りかざして何かをやった気になってるんじゃおままごとだよ、、とひとりごちってしまう。これは映画への批判ではなく、本作の題材になってる連合赤軍の「革命」に対する正直な思いです。そう考えると、極左テロ組織、という名称は本当に言い得て妙ですね。またその点でいえば、誰にでも理解できる言葉しか使わなかったヒトラーや毛沢東は偉かった(根底にある思想は下劣だったけど)。万巻の書物を読破していたチェゲバラは、理解のできない言葉で自分を騙すような愚かなことはしなかった。ムズカシイ言葉に酔って、自らの愚行を正当化することはできても、それらが本質的に人を魅了することはない。この日本赤軍に関しては、言葉の失敗が革命の失敗だと私は思う。

「あの人たちが話してること、一言もわからない。どうすれば”総括”ができるの?私たちが”総括”すれば、革命ができるの?」という作中の女性の台詞はまさに真理を突いていたと思う。ほかにも、警官役と革命派役に分かれて殴り合いをはじめ、「総括」をしようとする革命派の人たちを前に、これのどこが革命なのよ?などと、作中でもっとも「わかっていない」とされる女性陣や、未成年の男の子が、時おりポロリと本質的な言葉を口にするのもこの映画の面白いところですね。もちろんそのあとでしっかりと「総括」させられるわけなんだけど。総括ってなんなんですかね?

1917年のロシア革命で実践されたいわゆる「共産主義思想」の素晴らしいところは、それっぽい言葉で、何でも正当化できてしまえるところですね。行動自体は真逆のものだったとしても、美辞麗句でいかようにも飾り立てられる。「革命の途上で命を落とした同志の意思を受け継ぎ、我々は最期まで戦い抜くのだ」と、理由のないリンチで殺しただけの「同志」の死を正当化し、山荘に立てこもる男たち、、しかし真面目な話、本当に言葉は危険だよ。自分でも意味のわからない言葉を使って己の行為を正当化し、それを理解できない人間を抹殺(文字どおり)する。この映画が描いているのはまさにその過程。例えば、ライフルに小さな傷が入っていたことで、「自己を共産化できていない」とされた人が、「総括」と称し、殴る蹴るの暴行を受け「処刑」される。「自己を共産主義化する」とは何か。「総括」とは何か。誰も理解できず、疑問さえ持ってはいけない時点でそんなものは思想ではない。

なまじ「実録映画」なだけに、ここに出てくる人たちが、いまこの世界を生きる自分たちと同じ人間だという前提に立ってフラットな視点で見てしまう。その結果、あまりに腹が立ってしまう。なので、これはある種の時代劇だと思うと冷静に見れる気がする笑。お代官さまをやっつける水戸黄門的な図式化された予定調和的な劇映画(もちろん正義のヒーローは出てこない。強いていうなら、ラスト付近で「何が革命だ!あんたたちには勇気がなかったんだよ!」と叫んだ最年少の男の子はそれに近い存在でした)。1970年初期という、人類史上きわめて異質な時代に起きた実話を映像化した異質な劇。まあ彼らのおこなったのとちょうど同じような「革命」を国家単位で実践し、国民の三分の一を虐殺したのがあのポルポトだと考えると、この連合赤軍の事件はまだマイルドだったと思えてくるというのはある。そう思わないと見てられない笑。

色々書いたけど、映画自体はおよそ誰にも文句のつけようのない素晴らしい出来で、当時を生きてない自分にもこの70年代空気が吸ってるような錯覚を抱けるほど、この時代の感覚みたいなのがすっと体に入ってくる。そして作品にのめり込んでるうちに、人間の醜さというか、胸をムカムカさせる純粋悪の存在をまざまざと見せつけてくれる。目を洗われる体験というのはこういうのをいうのかもしれない、偉大な作品です。

これは私が見識不足なだけなのかもしれないけど、有名な俳優さんがほとんど出てないリアリズム寄り?の配役のおかげで、作品により入り込めた。唯一名の知れた、作品の主役でもあるARATA氏は、終盤三分の一の時点までまさかの台詞ゼロという意味ありげな演出も好き。そして、おそらくはこれを見たほぼすべての人から嫌われるであろう、赤軍のいわゆる「指導者」永田、森の役を力演したお二方(お名前は存じ上げず)も天晴れでした。要所要所で本質を突く、当時最年少で革命に参加した中学生役を演じた子役の方も!この人たちの演技には、本作が映画であることをすっかり忘れさせるだけのパワーがあった。素晴らしい。

—以下に、赤軍派のいわゆる指導者、森氏の深イイ言葉をメモしておきます(作中の台詞もほぼこの通り)

「肉体と精神の高次な結合が必要である」
「総括できればどんなに寒くても凍死しない」
「どんなに空腹でも餓死しない」
「銃弾に当たっても死なない」

「気絶から目が醒めたときには
すべてを受け入れられる共産化された
革命戦士に生まれ変わることができる」
明石です

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