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グラディエーターのhasseのレビュー・感想・評価

グラディエーター(2000年製作の映画)
4.2
演出5
演技4
脚本4
音楽3
撮影4
照明4
インプレッション5

帝国の本質は「拡大すること」だ。ローマ帝国も周縁の地域を次々に平定し、その版図は膨張する一方だった。しかし、中央の政治機能は元老院の私利私欲によって独占され、腐敗しきっていた。
賢帝アウレリウスも、その息子コモドゥスも、元老院を廃しようという点では一致していた。しかし、アウレリウスが帝政を共和政に戻し、政治の中心を民に引き渡そうとしたのに対し、コモドゥスは権力を自分の手におさめようとした。アウレリウスは息子のその醜い野心を見透かしていた。

コロッセウムは奴隷たちを殺しあわせる闘技場であり、スポーツ観戦場であり、賭博場であるが、同時に民主政治の場でもある。ザマの戦いを模した闘技が開催された際、プロキシモの奴隷たちはシナリオ上、虐殺される役割だった。が、マキシマスの見事な指揮により彼らが生き残ってしまう。戦闘後、コモドゥスとその配下がマキシマスらを取り囲み、処断の気配が立ち込めるやいなや、観衆たちが一斉に殺すなとコールする。コモドゥスは苦々しい笑みを浮かべてその場を去るほかなかった。ここには、帝国の頂点たる皇帝すらも従わざるを得ない、民主政治の本質たる喝采が表れている。

ある意味、コモドゥスは民衆により突き動かされ、そして殺されたと言える。マキシマスをコロッセウムで殺す計画を立てても、マキシマスの武勇と、民衆の喝采がそれを悉く打ち砕く。劇中、本人も苛立つように、マキシマスを殺したくても民衆を敵に回すのを恐れて手出しができないドツボに嵌まっていく。それで、最後はコロッセウムで一対一の決闘を仕掛けることにした。結果、コモドゥスはマキシマスに負けた。ここで民衆が殺すなのコールを叫べば、コモドゥスは死なずにすんだかもしれない。しかし、民衆はコモドゥスが殺されることを選んだ。

マキシマスはどんなに英雄として祭り上げられようとも、一貫して家族を愛する一人の男だった。家族の他は塵と影、というのが彼の思想だった。登場人物たちはみな、現世の次には来世があると考えており、妻と子のいない現世には、コモドゥスに復讐を果たした後は何一つ未練がないようだった。現世でやることは全てやった。だから、次は来世でまた、待っている妻子に会いにいくのだ。このような思想が、マキシマスをただ政治の闇に巻き込まれ流転の人生を送るだけの人物に貶めていない。
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