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アングスト/不安のYuのレビュー・感想・評価

アングスト/不安(1983年製作の映画)
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〜〜〜〜〜6/14加筆じゃ!!!〜〜〜〜〜
1年前の私!なんかだか根っから暗〜い文章をチンタラ描いてるじゃないの!
私は昨夜!!一瞬の!!輝きを感じたわよ!!!輝き度は個人的に100を超えて輝き臨界点突破です!やったーー!!!!

で、2回目の映画館での鑑賞、ということで今回はフォロワーさんがめちゃめちゃ話してたカメラワークに注目して見てみました!
結論スーパー頭おかしい変態カメラワークで、少し下品な表現になりますが、勃起してしまいまして…
何というか既視感がございました!昔の作品でなおかつ2回目の視聴なので、既視感て何じゃボケって気もするのですが、

個人的にこの作品のカメラワークって大きく三つに分けられてると思ってて、
1.高い視点からの定点カメラ
2.役者に固定されたgopro系カメラ
3.ガチャガチャ動くてハンドカメラ

これらに既視感を感じるのは多分、

1.僕の夏休み、あるいはバイオハザードのカメラワーク
2.TikTok
3.モンハン初めてやる人のカメラワーク

らへんの映像とリンクしたんですよね!!

例えばなんだけど、裏口から地下室前まで車を運ぶシーン
あれは今回のカメラワークにおける①の部分何だけど、
Kさん、お前さんどこにいるの?までは行かないにせよ、人物がお豆さんくらい小さく暗い、高い視点からの俯瞰ショットになってるんだよね!
外から覗くショットはどこか他人事感があって、もはや強制的に傍観者、目撃者にされちゃうような、そんなおっかなカットを感じますねぇ〜!

で、②のtiktok。これはマジでアングストの代名詞的な超絶変態カメラワークなんだけど(どうやって撮ったのかしら…)
ここまで、思いつくならPOVもおおよそ気づいたと思うんですよね、すでにジョーズも公開されているわけだし、殺人鬼視点っていう発想はできたはず。
あえてこの視点を選んだのは、異常人間すぎて感情移入しようとしてもできないから、加えて、殺人鬼の追体験というよりも被害者としてみるように仕向けられたのでは、!とか、いろんなギミックを感じちゃうよね!ハカハカしますね!!!やった^!!!

③のカメラはKのダッシュで見られるカメラです!
ダッシュでカメラブレるのはわかるんだけど、あれモンハンのカメラっぽいといいますか、あるいはマリオ64。
自分はマリオの背中側からの視点で動きたいのに、カメラがうまく動かせなくてなぜか顔面アップになるやつ。完全にあれです。。

あれってめちゃ焦りません!?もっと下が見たいのにカメラが上に行っちゃってクソがッ!!死ねッ!って思うあのイライラ感!
もちろん自分の操作が下手くそゴミカスなせいなのは百も承知です。
自分の体では視界を「操作する」って感覚がないからストレスフリーなわけなんだけど、視界が何かしらの要因によって思うように動かせないって、
人が不安を感じる一つの要素なのかも、なんて思っちゃいました!!!

確かに、モンハンマリオもカメラが思ったように動かない時って、ダメージを受けたくないとか、死にたくないとか、そっちだもの。
なんて決まった感じで書いてみたけど、正直何事も思ったように動かせないとイライラするし不安になるよね!クソが!!!!!

初見と2回目で抱いた感情が全然違っててビックリマンなんだけど、もう一個だけ!

登場人物がかなりモブ。っていう感じ、これは1回目でも感じてたのかしら、書き忘れだったら過去の自分殺します。

被害者家族3名のうちママと息子は感情が希薄すぎて、動き全体がGTAのモブっぽいんですよね。何ならシェルのカフェにいるあいつらも、よってくる警察も遠くで眺めてるオッさんも。

これってあくまで舞台装置でターゲットは誰でもよかったってことなのでしょか、それともそこに感情を描く必要がないから?
でも被害者の感情を描かない理由ってあるかしら。犯人にフォーカスして輝かせる意図は十二分にわかるんだけど、だったら①のカメラワークは不要になると思うの。
ショッキングな映像を作るために無感情な人物を被害者に置いたとしたなら娘は何?ってなるし、実はベースとはいえ、犬が無事な要素を追加してるわけだし、
とはいえ、純度100%の異常人間溌剌感を浴びれて顔面アングストです!!やったーーーー!!!!!


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遊園地で全部の乗り物に乗るために奔走する感覚で殺人を犯す。
そんなに急がなくても逃げないよって言いたくなる頃にはもう
人間を生き物として捉えられなくなってる


オーストラリアの実際にあった殺人事件をテーマにしたキラー目線のドキュメント
とにかく淡々とした雰囲気の映像が続いていくのに、三白眼の殺人鬼は興奮しまくってる
セリフがほとんどなくて殺人鬼のモノローグがちょくちょく入ってくるだけなんだけど、
一言一句理解ができないから勢いの納得感で押し切られて、だんだん殺人鬼と同化していくというか、
自分のというか人のダークサイドを優しく触ってくるような感じ…?


1980年のオーストラリアってベトナム戦争の事実的に終わったことによって終難民をめちゃ受け入れていて、
そこからさらに、移民の家族を受け入れるっていう”家族呼び寄せプログラム”なるものを発令していたらしいんだけど、
なんだか国家ぐるみで”家族”っていうつながりに強い思い入れがあるような、そんな時代だったのかも。

そんな中で起きた親殺し&一家殺人事件の衝撃って、どんな意味があったのかってちょと考えちゃうよね
10年間近く(ベトナム戦争中)牢獄にいたアーヴィンにとってはそんな時代背景知らんこっちゃな話かもだけど、

「絶対に人を殺さなければいけない」っていう「金閣を焼かねばならぬ」みたいな強迫観念は、
そのモノローグからヒリヒリ伝わってきて、人との会話が一切ない視聴者っていう立場の自分にも
アーヴィンが感じている謎の圧を同時に感じさせてくるですよね、

時間を吹っ飛ばした異物が暖かい街に冷え切った何かを打ち込んでいくようなアーヴィン
正直最初のカットはゾクゾクが止まらなかったです。
半世紀近く前の作品で、あのカメラワークは普通に意味がわからないし、先進的過ぎて評価されなかったのはなんとなくう頷けちゃうけど、今見るとこの監督が映画を作り続けてたらどうなってたんだろってちょっと寂しい気もしちゃいます

自撮りなカメラワークはめちゃめちゃかっこよくて、
背後からのカットは1ミリも共感できない殺人鬼の体に
自分の目玉と脳みそをブチ込まれちゃったような感覚

そのままぐるぐる回って斜めからのカットで表情が見えると、なんだろ
不意に悪い顔してるときに鏡見ちゃったときの感覚にちょっと近い
流石にあそこまでイッちゃった表情はしたときないけど、

ありきたりで薄っぺらな言葉になっちゃうかもしれないけど、
カメラワークがとにかく異様で、没入感が異常。
アーヴィンと同期していくような感覚はみててゾクゾクを通り越して、
不快感と何かを削ぎ落としていく不安を感じました

生き物を殺すって何かしらの動機があって、
遊びで同じ種族を殺す生物って、人間の理から外れちゃってるんですよね
神様か宇宙か、とにかく生存するっていう種の繁栄を一番の目的に動くはずなのに
180度違う方向に走っているものって、社会からというか真理から逸脱してるようで
なんだか初めての感覚になりました

人を殺すシーンは、娘のシーンを除いて淡々としているから、
目の中に無理やりエグ要素を詰め込まれるようで、これはまぁ今の映画でも見たときあるけど、普通に感情揺さぶられて好きでした。

でも、この映画というかこのアーヴィンの行動が異常に見えるのって、殺した後の死体活用術の影響がかなり大きい
死体を見せて怖がるところを見たいだの、一ミリも納得できない”完璧な計画”は戦慄純度100%
死後硬直で不自然に上がった腕を持って階段を降っていくアーヴィンは、キメセク顔して幸せ振りまきスマイル
そんな中で足元をうろつくワンコろは唯一の救いだったんだけど、実はこのワンコロ、撮影のリプチンスキのペットなんだそうな。
血糊の代わりに豚の血を撒き散らした撮影現場で尻尾をフリフリしてるワンコロはこの映画を娯楽として
安全な場所から覗いてる視聴者のメタファーなのか、なんて考えてたんだけど、
普通に撮影現場で足元をウロウロしてたから役をあげたんだって。かわいい

実際の事件では犬じゃなくて猫でそのまま殺されたらしいんだけど、
その理由は「目撃者がいて欲しく無かったから」
なんだって。何かまずいことをしてる時に映る丸いものって、
全部目に見えて消さなきゃっていう脅迫観念に駆られる
のはなんとなくわかるから、猫が殺されたのも仕方ないっていったら変だけど理にかなってるとは思うでも、
娘を殺すところを見せるために母親を延命しようとした事実からは矛盾が生まれてて、
その猫の話を知ったときに死ぬほど寒気がしました
自分が理解できる範疇のものではなくて、そのくせ、たまに気持ちが同化してしまうアーヴィンという異物には
恐怖って言葉より不安って言葉がめちゃハマる。もちろん『鮮血と絶叫のメロディー』って旧邦題のサブタイトルもカッコいいから好きだけど

自分がやっていることを完全に正統と思ってるから、やっぱりあんなウィンナーの食べ方をするわけで、
そんな奴がいたら、トランクにしたい詰まってようがなかろうが普通に通報しちゃうよね
最後のみんながドン引きしてる顔は、スクリーンだけじゃなくて客席もみんな同じ顔だったと思います😇😇😇
Yu

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