イッソン

稲妻のイッソンのレビュー・感想・評価

稲妻(1952年製作の映画)
4.4
この映画で描かれる小さな世界。

ただ生きるために生きている、といったら「それの何が悪い!」とキレられそう。
習慣化したズルズルべったりな空気。その環境に対して嫌だと感じる気持ち。それがつもり積もって稲妻は落ちる。

2050年に観たって古くなんかならない。普遍的な映画だと思う。

高峯秀子の丸い顔が、この映画ではピークにきている。お日様のように美しい。1952年の美人は丸顔だとしたら、その後は顔が小さく、アゴの細いシャープな顔が美しいとことになっていく。

顔の造形はともかくとして、女優としての高峯秀子は成瀬監督の映画に出ることで、きれいごとでは収まらない、人間の業を演じることのできる役者に成長したのではないでしょうか。
本当のところはわからないけれど、心の底に怒りを持って生きてきた人なのだろう。だからニッコリと笑うけれど、表情が険しくなる時がいい。

稲妻(怒り)は高峯秀子の中にプログラミングされている。と言ってみたくなるほどです。

浦辺粂子。映画の最後の方の演技がいいですね。
お母さんに不満のすべてをぶつけてしまい泣かした記憶のある人は、みんなしんみりしてしまいます。後悔した時にもう親はいないものです。

プチ情報。
1980年代後半に地下鉄の電車の中で浦辺粂子さんを見かけました。銀座駅あたり。
若い女性が立っていた浦辺さんに「浦辺粂子さんですね?」と確認して席を譲ってました。浦辺さんは「あら、悪いわねぇ〜ありがとう」なんてことを言って座っていました。
映画「さびしんぼう」に出演した頃かなと思います。「稲妻」ではまだ若いですね。