Kientopp552

デイブレイカーのKientopp552のレビュー・感想・評価

デイブレイカー(2009年製作の映画)
2.0
 グローバル・プレイヤーとしての製薬・生命維持産業がその社会を支配しているというプロットは、SF映画でよく聞く話しで何も目新しくない。ただ、それが、社会の多数派を占める吸血鬼人間に、人血を供給するという点は、中々面白い。

 とは言え、その人血の製造が、人間の生命を維持する形で、しかし、採血は人体に直接採血用の管を繋げることでなされるというのは、どこかで見たような光景である。そう、『マトリックス I』(1999年作)での場面で、キアヌ・リーヴス演ずるところのミスター・アンダーソン達が、AIに電気エネルギーを供給するために、「飼育」されていたのと、これは似ている。

 そして、イーサン・ホーク演じる主人公の人工血液製造プランの研究者が、自分はヴァンパイアであるにも関わらず、人血を飲むことを拒む点も、やはり、どこかで見たことがある。そう、『トワイライト〜初恋〜』(2008年作)のエドワードである。彼は、人間の血を吸うことを自らの意志で拒む、そして、そこに克己の徳を自らに課している点で「ヴェジタリアン」ヴァンパイアなのであり、この自己克己の態度は、イーザン・ホーク演じる、奇しくもエドワードと同名の研究員の自制の態度と同様なのである。

 という訳で、どうもそのオリジナリティーが問われる本作ではあるが、一つ興味深いのは、本作のストーリーにおいて、階層社会が構成されていることである。即ち、人血製造・供給会社の上層部を形作る、サム・ニール(悪玉を演じてよい)を代表とする特権階層、その下に、一般吸血鬼人間、さらにその下に、吸血鬼の糧となる「人間」と階層構成されているのであるが、面白いことに、人血を吸わずに、或いは、吸えずに、退化してしまったヴァンパイア、つまり、蝙蝠状化したSubsiderという階層も存在していることである。こうして本作では、単に、「ヴァンパイア対人間」という構図ではなく、ヴァンパイア層内部でも階層分化させることで、ある種の社会的観点を、単なるSF・ヴァンパイア映画の中に取り込んでいるのである。そして、このことが、本作の終盤に向けてのストーリー展開に重要な役割を演ずることになる。
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