ろくすそるす

ソルジャーブルーのろくすそるすのネタバレレビュー・内容・結末

ソルジャーブルー(1970年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

 『アルジャーノンに花束を』の映像化作品である『まごころを君に』の監督として知られるラルフ・ネルソンによるアメリカン・ニューシネマの、そして戦争映画の大傑作。原住民を虐げる兵士たちを描いた歴史作品としては、ジョージ・ロイ・ヒルの『小さな巨人』(ダスティン・ホフマン演じる白人青年がインディアンの部族との交流とそれを迫害する兵士たちを目撃し、老境に至って若者のインタビュアーに語るという物語)があったと思うが、この作品は前半はシャイアンに襲撃されたソルジャーブルー(北軍兵士は次々に頭の皮をはがされ死んでゆく)の生き残りである青年ホーナス・ガントとインディアンの酋長「まだら狼」の元妻である白人女性、クレスタ・メリーベル・リー(ブロンドの美女)との珍道中とコミカルな恋愛劇(ノーパンのメリーの色気と格闘するホーナス)なのだが、後半の北軍の兵士たちが、女子供を銃殺し、レイプし、首を刈り皆殺しにする大虐殺の描写は、これも凄まじい絶望性で知られる大傑作『炎628』と並べてもひけ劣らないほどの痛切なシーンに仕上がっていて、言語に絶するほどの惨たらしい映像の衝撃を与える。
 冒頭のテロップがすべてを物語っている。
「人類は5000年の歴史を血で記してきた。その一方で、輝かしい文明も築いている。しかし、カインの弟殺し以来、人の魂には闇が巣食ってきた。本作の終盤では理性を圧倒する人間の残虐性が克明に描かれている。その残虐性は戦士達に影響するだけでなく、何の罪もない女性や子供達を犠牲にする。何よりも恐ろしいのはこの物語が事実だということだ」
 のびのびとした唄とともに、オープニングタイトルが流れるが、この曲も本作のメッセージを真摯に伝えている。
「ソルジャー・ブルー、ソルジャー・ブルー、この国を愛する方法は他にあるはずよ」
 ホーナス・ガントとメリーベルという二人の男女が結ばれ、やがては引き裂かれる切なさ、戦争の残酷さ(人類の愚行)が目に焼き付けられる。
 特に、ホーナスが序盤では、「大義」を重んじる頑固な男であったのが、メリーベルとの出会いによって土地を奪われた原住民を考えるに及ぶ、このプロセスに本作の意味があると思う。そして彼の信じる「大義」の側は、ことごとくホーナスを裏切ってゆく。足を撃たれたホーナスを砦の基地から助けに行くように求めるメリーベルに対して、北軍将軍は、未開拓地に救援を出すのは危険だし、二週間はかかるので無理だとはねのける。まさに、大義に一度見捨てられているということだ。
 そして、ラスト、避けられるべき暴力を北軍将軍自らが指示し、インディアン側の歩み寄り(白旗)を蹂躙して襲撃する。兵士たちの横暴を目撃したホーナスはここで初めて、自分が父から信じ込まされてきた大義が正しく、原住民は憎らしいということが誤りであることを悟り、止めに入る。残酷で狂っているのは明らかに北軍のほうだ。
 本作が、ベトナム戦争のソンミ村住民虐殺事件(68年)を受けて作られたということも、この映画の反戦的なメッセージ性を裏付けている。倫理について非常に考えさせられる映画史上の傑作だと思う。