むっしゅたいやき

日記のむっしゅたいやきのレビュー・感想・評価

日記(1982年製作の映画)
3.8
メザロス・マルタ(欧米表記:Márta Mészáros)は、ハンガリーの女性監督である。
プダペストに生まれ、4歳の時に旧ソ連、キルギスタンへ家族で移住。
7歳の時、スターリ二ズムの為同地にて彫刻家の父・ラースローが連行され、殺害。
同年母も次子の出産に際し、死亡。
ソ連の養母に育てられ、15歳の時に祖国ハンガリーの祖父母に引き取られている。
これは余談であるが、二度の結婚をしており、その二度目の結婚相手はあのヤンチョー・ミロクシュである。

私は通常、タイトルやレビューから視聴する作品を決めており、監督は後となる。
然し今回はそのアプローチが異なり、監督の経歴を知ってから観るべき作品を探した。
それは彼女の苛烈な過去をどのように空間芸術たる映画へ表現し、どのような主張を盛り込むかに興味を持ったが故である。
本作『Naplo gyermekeimnek(子供の為の日記)』は、『日記三部作』の一つであり、彼女が祖国ハンガリーへ戻った際の出来事をドキュンタリータッチで描いている。
父母の死亡の元凶たるスターリン、彼を崇拝し左傾化して行く祖国ハンガリーを15歳の彼女が、どう観、また感じたかを知る資料となるが―。
結論から云うと、そこには深い絶望があった。

本作に於いてメザロスの主張は、検閲による為か、驚く程影を潜めている。
養母であるマグダへの反抗や、ヤノシュとの議論に於いても、飽くまで15歳当時の彼女の知見に基づいた主張はしても、ポリティカルな議論までには繋がらない。
ヤノシュの連行に際しても、泪を流し、自己の決断を祖父へ伝えはするが、飽くまで自己の身の振り方であり、同様である。
この社会像・理念と、彼女の実生活との乖離、更には折々に挿入される父母の記憶と憧憬が、我々に憐憫を催させる。
また、『憂鬱な音曲』を演奏しただけの音楽家が詰らられ孤立するシーンでは、全体主義の実像が垣間見える。

警察国家や全体主義。
これ等の実像を識る為にも、抑えておきたい作品である。
むっしゅたいやき

むっしゅたいやき