JAmmyWAng

激突!螳螂拳のJAmmyWAngのネタバレレビュー・内容・結末

激突!螳螂拳(1978年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

【ほんとうにネタバレをしているよ】

妻は夫のため、その夫は父親に象徴される自身の血族のため、各々の報われない想いを動機とした一方通行な運動の累積の果てに、体制だろうが反体制だろうが父性の象徴する権力にあらゆる人情が飲み込まれていくという遣る瀬無さ極まりない物語であります。
ラストのどんでん返しによって増幅する不条理の暴力的なまでの切なさは、ブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』を超えてしまっていると私は思う。

「本物のカマキリを先生として蟷螂拳を完成させる」という非現実性を、「絶望でもしない限りカマキリの真似なんかしないだろう」と思わせる無念性の蓄積によって定着させるという手法に思わずハッとさせられた次第で、冬月コウゾウ風に言えば、蟷螂拳は「絶望の産物であり希望の依り代でもある」と思えるワケです。

國分功一郎氏のドゥルーズ本から引用すれば、〈権力は人に行為させる。権力は必ず、どこからか、何かに、作用する〉という本質によって若者は傷付き絶望していくも、一方で〈欲望はどこからか何かに作用するのではない。その主体に内在する力である〉という性質を、まさに今作の蟷螂拳は体現しているのかもしれない。カマキリは「貪欲」の象徴でもあるワケですので。

そしてこの映画が心底遣る瀬無いのは、蟷螂拳というその内在性としての根源的な力が、一旦は権力のはらわたを引きずり出して勝利を獲得しても、再び権力の不条理に絡め取られて潰されてしまうという無慈悲な結末と、ことごとく届かない人の想いの先にはやはり権力が立ちはだかっているからであります。

〈蟷螂の尋常に死ぬ枯野かな〉という宝井其角の句がある。

性行為を終えて雌に食べられ死んでいく雄カマキリが、雌の体内においてそのまま子供の栄養となって溶解していく様と、枯れ落ちた草木が腐敗する事で、養分として豊饒な大地へ還っていく様をオーバーラップさせながら、生態系的な循環性としてカマキリがそのように死んでいくのは「尋常」であると言っているワケです。

それでは、今作で蟷螂拳が父性的な権力によって死へと追いやられてしまうのは「尋常」ですか?
NO! NO! NO! NO! NO!

夫婦も親子も双方の気持ちが権力によって遮断され、あり得べき想いの循環が葬り去られてしまうのは「尋常」ですか?
NO! NO! NO! NO! NO!

い…「異常」ですかあああ~
YES! YES! YES! YES! YES!

もしかしてオラオラですかーッ!?

という感じで人間を不幸にする権力はメチャゆるさんよなああああ!でもその権力に負けたッ!蟷螂拳完!!
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