カツマ

天空のからだのカツマのレビュー・感想・評価

天空のからだ(2011年製作の映画)
4.0
晴れることのない疑念。それは思春期の繊細さの前で立ち尽くすように吐息する。固定概念化する信仰、信じることの意味。これは『信仰』をベースにして、少女が彷徨い続けたトンネルの中を可視化したかのような物語。例え、その光の先に海があっても、目にしなければその美しさは分からない。

長編第2作『夏をゆく人々』、第3作『幸福なラザロ』とその評価は高止まりすることなく、いまや、30代にしてイタリアを代表する監督となったアリーチェ・ロルヴァケル。彼女がこの二つの作品の前に撮っていた長編デビュー作がこの『天空のからだ』である。2012年にイタリア映画祭で公開された本作が、今回、イタリア映画祭2020のオンライン配信という形で復刻上映されることとなった。この映画がカンヌを皮切りに各国の映画祭で好評を博したからこそ、アリーチェ・ロルヴァケルの今があるのだろう。

〜あらすじ〜

13歳の少女マルタは、家族と共に10年ぶりにスイスからイタリアへと移り住んできた。大好きな母は仕事に忙しく、意地悪な姉は事あるごとにマルタのことを執拗に叱責してくる。そこで思春期真っ盛りのマルタを周囲に溶け込ませようと、母はマルタを町のキリスト教会で行われている日曜学校へと通わせることにした。
教会には政治家と癒着している司祭のマリオと、彼を支えんとする熱心な女性信者サンタがいた。マルタはサンタが教鞭をとる授業を受けるようになるも、そのキリスト教の教えに困惑し、どうしても身が入らないでいた。
教会は実はバタバタしている最中。何しろ、司教を招いての大イベントが目の前に迫っており、その準備に大忙しの状態だったからだ。マルタもイベントに向けて歌の練習をさせられたりするのだが、サンタの伝えるキリスト教の教えには違和感ばかりが募っていて・・。

〜見どころと感想〜

心も体も急な変化を遂げている13歳の少女。そんな彼女の目線に移るキリスト教会への違和感と、アンチテーゼとも取れる信仰の矛盾に真っ向からクエスチョンを投げかけている作品である。宗教法人のかなりデリケートな部分に刃を突き立てているせいもあり、公開当初は様々な議論や憶測を呼んだそう。崇高な教えのもとに発足したはずのキリスト教も教える者によっては歪曲され、間違った解釈へと辿り着くこともある。その危険性を分かりやすく描いており、聖書の拡大解釈の危険性にも言及している。

また、キリスト教へのアンチテーゼと共に、少女の成長物語としての太い軸を走らせており、そこにあるのは周囲から浮いているように見える自らの姿。そして、まだ見ぬ外の世界への憧れの視線。断続的に差し込まれる遠景での街の風景が、巡り巡ってこのストーリーの核になっているので、静止する細かいカットにも注目して見てほしい。

アリーチェ・ロルヴァケルは一貫して人々の生活に根ざした風景を切り取る映画を撮ってきた。今作でもシチリアの北東に位置する街を舞台に、決して裕福ではない家族模様と、どうしようもなく感情的になってしまう普通の人々を時に愛らしく、時に憎々しく描いている。そんなイタリアの田舎街の風景に垣間見える少しのドラマにスポットライトを当てながら、余韻を置き去りにするかのようなラストカットが我々の心の奥にストンと残る。音のないエンドロールがいつだって相応しい、そんな映画を今後も撮り続けていってほしいと思う。

〜あとがき〜

イタリア映画祭のオンライン復刻上映でアリーチェ・ロルヴァケルのデビュー作が上がってきたので、意気揚々と鑑賞しました。あまり喋らない主人公、家族のざわめき、殺伐とした日常、などなど、監督独自の個性はすでにこのデビュー作から発揮されていたことが分かりましたね。

終盤に登場してくる司祭の言葉がこの物語の大きな核になっていて、これこそが本来のキリスト教の教えとして的確なのでしょう。教えが歪曲された場合、その元来の教えはもう別物にすり替わっていて、人間の欲望を後押しする道具でしかないのかも。そんなことを思いながら、何を信じるにせよ、それは人次第なのだな、ということを痛感させられる作品でした。
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