カラン

ロバート・アルトマンのイメージズのカランのレビュー・感想・評価

5.0
夫のいない夜、電話が鳴って、友人が愚にもつかない自分の話を始めるのでうんざりしていると、すぐにかけ直すと電話を切られる。しかし直後に早すぎるタイミングで電話が鳴り、映画の冒頭の時点で既に聞いたことがあるような声で、つまりさっきの友達の声とは違うからもう1人しか残っていないが、夫が今別の女とホテルで浮気をしていると告げてくる。。。夫と抱擁しキスをしたと思ったら別の男だった。3年前に死んだ男。その内、自分のイメージも分割されて、さらに男が増えて、女の錯乱は混迷の度合いを深めていく。。。





キャスリンがキッチンの奥の戸棚を開けると、少女の顔が。まるで棚にしまい込まれていたかのようだ。キャスリンが奥の小部屋に引っ込んだところで、少女がドアを開けると、キャスリンの背中と鏡に映った顔がこちらを見ている。この少女はスザンナという。何か引っかかる。キャスリンを演じているのはスザンナ・ヨークなのだから。その内に、少女がキャスリンに向かって、自分はキャスリンになりたいと言い出す始末で、さらにはキャスリンは車の窓越しに自分と口論しだして、崖から突き落とすも、付きまとわれる。後で配役を調べてみると、役名と役者の名をずらしているのが分かる。夫のヒューはルネ・オーベルジュワが演じており、3年前に死んだ不倫関係にあったフランス人は「ルネ」である。このルネを演じているのはマルセル・ボズフィである。少女の父親でキャスリンと不倫していた夫妻の友人は「マルセル」といい、ヒュー・ミリアスが演じている。

映画史上最長かどうかは知らないが、超遠距離カットバックを、1人で、つまり自分と自分で、何回もしつこくやる。基本的にこの手のストーリーのない映画の御多分に洩れず、同じような運動やショットを反復する。あっ、なんか今見逃したって思って、巻き戻そうかなと思っていると、反復される。しかも、なぜか感動が増幅されて。「あ、ありがとう、アルトマン」となるという謎のサービス精神に溢れている。

カメラが被注察感を煽る、つきまとう眼差しの象徴となっており、銃で破壊される。鏡。太宰治の『トカトントン』的な病気の到来の機能を果たす風鈴の音。ひたすら読まれ続ける物語は、スザンナ・ヨークの自作であるらしい。ゴダール的な音読に近い気もするが、ストーリーの中で意味を持っているように思う。自我の保護だろう。声として一貫性を与えているのではないか。しかし声は喋り続けないといけない。そういう声による防御の脆弱性を突くように、アルトマンはしつこく幻覚症状を回帰させる。しかも、犬が死臭に気づくので、幻覚が終わったと思った瞬間に、現実が崩れていく。幻覚の中に幻覚を構築して超越を導入し続ける。死んだ男がしつこく呼んで、手を握られて寝室に入るときには、はいはいあなたはゴーストでしょうという顔をしている。中に入って切り返すと、裸の自分と犬がまっすぐ自分を見ている。超越の超越である。あまりのおぞましさに震える。

アメリカとアイルランドの合作だが、どことも知れない撮り方になっている。霧の臭いが漂ってきそうな、寒そうだが、微細な水が大気を満たしている空気感のショットが素晴らしい。黄色い山並みや木漏れ日が揺らぐ湖面のロングショットも素晴らしい。妙に歪んで見えるローアングルのクローズアップも堪らない。撮影はヴィルモス・スィグモンド。『ロンググッドバイ』(1973)とか、『ディア・ハンター』(1978)の人。本作後半の闇と赤色のなかで流れるように乱交するシーンの幻想性は『三人の女』(1977)の水の中の幻想に非常に近い。そうした特徴的なショット以外にもアルトマンらしさがあるかもしれない。アメリカ映画らしい分かりやすいタッチなのだが、発想はヨーロッパ的変態というのか。

音楽はジョン・ウィリアムズで、フルートを日本の笛のような音色で響かせ、ノイズ系の不穏なサウンド。『サスペリア』のように声が聞こえる系。


DVDで視聴。70年代初頭のフィルムであり、初めてDVDにテレシネしたものであることを考慮すれば、画質は十分に良い。音質は低音が弱いかもしれないが、風鈴とかはリアルで怖い。
カラン

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