丽遥

ロバート・アルトマンのイメージズの丽遥のレビュー・感想・評価

3.8
夢と映画はイメージの連関によって構成されている点で同じというのがよくわかる映画。分裂症?の女性の主観の映像だと判別すると同時に、映画文法にもかなっていると気づく。

電話が家に大量にあったり、血を拭くために鍋をバケツ代わりに使うなどかなり主人公の女性はくるってる模様。夫もそれをおかしいと思わないのヤバいと思わなくもない。元々ファンタジー小説家なところも現実と夢の境界が曖昧になりやすいってことの説明なのかもしれない。ただ本当にすごいと思うのは、原作者が主演女優でもあるところ。この主人公はドッペルゲンガーだけでなく、原作者=演者とも鏡像関係にあるわけだ、、

鏡像が主題だから、鏡もたくさん出てくるけど、家の窓の格子の牢屋感とか、サンキャッチャー(?)の揺れるオブジェの催眠術感もすごかった。サンキャッチャーは何種類か出てくるけど、その形態類似ショットによってシーンが進められ、主人公が異なる場所に身を移すのは、魔術のようでもあるが、映画の古典的文法でもあるのだと思い起こされた。
ラストのシャワーも、滝と重なる。

空間設計もかなり精神分析的。電話がたくさんあるっていうのももちろん他者の声、欲望を気にしてるっていうことを意味してると思うけど、別荘に行くっていうのがまた無意識の領野が女性を支配するようになることを暗示してる。湖畔があるのも無意識のモチーフだなあ。実際別荘行ってからますますおかしくなるし。あと、2階にドッペルゲンガーがいるっていうのも無意識の世界表象かな。2階に寝室があって、主人公は普通に夢を見るだろうし、3人とめくるめく性的関係を持つ幻想も見る

3人の男のアイデンティティが次第に分からなくなっていくのがこの映画の分かりにくいところだった、けどそれが肝なんだよね😭主人公が1人の男になんか反応すると、リバースショットで次に男が映された時、3人のうちの別の男になっている、というのがしばしばあった。思うに、主人公は男性に求める役割を3つに分裂させて、それぞれに人格を与えて存在させたのでは?元彼はともかく、娘を連れてきた友人が主人公を襲うわけがなさすぎる😂3人共が本当に実体を伴って殺されたわけではないと思う(1人すでに死んでたし)、ただヒューは殺してしまったが、、
主人公にとって殺すということは、あくまで自分のなかにあるいらない欲望(性的な欲望)を取り除くということだったのだと思う。性に奔放な自分、自分の性的な欲望。そういうものを無意識の領野の形象であるところの別荘で殺したのでは。

そのあと、車で爆走して元の世界(意識の領野)に戻ろうとするが、最後までイドが引っ付いてくる、と。ここの鏡像描写がほんとにすごくて、はじめイドとエゴの車の窓越しのリバースショットだったのに、次第にイドが喋ってる言葉をエゴが喋るショットが映されるようになる。そのエゴが車の外側に向かって話すショットは、車の外側から撮られていて、車の外にいるイドの顔が窓に反射して、エゴとイドの顔が重なって見える。エゴとイドと分けたところでやはり、1人の人間なのだというアイロニーすぎてすごかった。

無意識の領野のなかで、少女と犬が意識の残り香という感じがしたけど、パズルの意味とかよく分からないこともまだたくさんある、、
ロバート・アルトマンは雨に濡れた舗道に引き続き2作目の鑑賞だけど、女性の動機が元になって男が破滅してる点でファム・ファタールとも言えるかも、もうちょっと見てみよう
丽遥

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