とうじ

コックファイターのとうじのレビュー・感想・評価

コックファイター(1974年製作の映画)
5.0
「大会でメダルを取るまでは、一言も喋らない」と誓った闘鶏のプロのおじさんの、無口な日常を描く。
特に派手な盛り上がりの無い本作の筋書きにも関わらず、本作がすごく面白いのは、やはりモンテ・ヘルマンが天才的なアクション監督であるからだろう。

例えば、闘鶏に負けて暴れ出した男を、主人公が木の棒で殴って落ち着かせるというシンプルな場面。
まず、主人公が木の棒を拾うショットを撮る。そこから、カメラを少し引いて、角度も絶妙に(30度くらい)変えて、主人公が木の棒を相手に振りかざすショットを撮る。次に、カメラの位置が180度変わり、殴られた衝撃で相手が(カメラに向かって)壁を突き破るショットが重なる。
こういう風に文章化すると、至って簡単で基本的な演出のように聞こえるが、複数のショットを撮ること、そしてそれらを積み重ねることにおいて、本作ほど丁寧に研ぎ澄まされていながら、その形式が浮かび上がってきて被写体の邪魔にならないものは、かなり少ないと思う。
近年のアクション映画は、とにかく細切れのショットで観客の眼を連打することで、観客の脳内でそのアクションの全貌が点描画のように、ぼんやりと浮かび上がってくることに頼るものがほとんどである。
それは、一個一個のショットの責任を軽くすることに繋がり、そのような省エネ化は、120年もの間アクションを描く難しさと戦ってきた「映画」という媒体の末路として、当然であるといえる(そして、それでさえ相当の技術を要することは当然である)。

しかし、天賦の才覚によって、いとも簡単に、必要最低限でシンプルなカット数を導き出し、アクションを飼い慣らしてしまう監督も存在し、モンテ・ヘルマンがそのうちの1人であることは、本作を見ればわかる。
そして、そのようなアクション演出のシンプルさは、主人公のライフスタイルのシンプルさ、スポーツと違って選手の感情的なバックグラウンドが全く介入してこない「闘鶏」のシンプルさと滑らかに馴染みあい、本作全体として、余裕のある波長を生み出している。

その質感は、予算の都合から致し方なく生み出されたものであることは間違いないのだが、それが返って、予算のかかった派手な映画では到底表現できない、魅力的な雰囲気と結びついている。

本作のラストの闘鶏シーンは圧巻で、ショットと編集の妙技が神がかっている。「レイジングブル」の有名なボクシングシーンは、その場面を基盤に、少しペキンパーを足したものだと言っても過言ではないだろう。
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